梅原, 末治, 1893-1983
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[写真内容] 夾紵棺, 1934年 5月 2日撮影.
「蘇った古代の木乃伊-藤原鎌足-」における88頁の「29 棺身 まっすぐだったのが乾燥のため数日後にはゆがんでしまっている 撮影場所:観測所地下の地震計設置室」にコンテンツの1枚目が対応している. 「蘇った古代の木乃伊-藤原鎌足-」においては一部トリミングがされている.
[写真内容] 夾紵棺蓋, 1934年 5月 2日撮影.
「蘇った古代の木乃伊-藤原鎌足-」における88頁の「28 棺の蓋 撮影場所:観測所地下の地震計設置室 昭和9年5月2日か」にコンテンツの1枚目が対応している.
[写真内容] 棺内の状態, 1934年 5月 2日撮影.
{品名}棺内の状態 {場所}高槻市奈佐阿武山古墳 {撮影者} {現像者} 1935{年} 5{月} 2{日撮影} {天候} {備考}(スタンプ印, 2ヶ所)「焼付」「焼付」
[写真内容] 棺内の状態 脚部より頭部をみる, 1934年 5月 2日撮影.
「蘇った古代の木乃伊-藤原鎌足-」における97頁の「39 左大腿骨部」にコンテンツの1枚目が対応している. 「蘇った古代の木乃伊-藤原鎌足-」においては一部トリミングがされている.
[写真内容] 棺内遺骸出土状況, 1934年 5月 2日撮影.
{品名}棺内遺骸出土状態 {場所}高槻市奈佐阿武山古墳 {撮影者} {現像者} 1935{年} 5{月} 2{日撮影} {天候} {備考}(スタンプ印, 2ヶ所)「焼付」「焼付」
[写真内容] 棺内頭部状態 頭蓋と金糸, 1934年 5月 2日撮影.
{品名}棺内頭部状態 頭蓋と金糸 {場所}高槻市奈佐阿武山古墳 {撮影者} {現像者} 1935{年} 5{月} 2{日撮影} {天候} {備考}大阪報. 第7. P1. 16参照 (スタンプ印, 2ヶ所)「焼付」「焼付」
[写真内容] 棺内頭部状態 頭蓋と金糸, 1934年 5月 2日撮影.
「蘇った古代の木乃伊-藤原鎌足-」における92頁の「34 頭部 南枕で頭蓋骨は首からはずれている」にコンテンツの1枚目が対応している. 「蘇った古代の木乃伊-藤原鎌足-」においては一部トリミングがされている.
[写真内容] 発見当初の石室北側外部状態, 1934年 5月 2日撮影.
{品名}発見当初の石室北側外部状態 {場所}高槻市奈佐阿武山古墳 {撮影者} {現像者} 1935{年} 5{月} 2{日撮影} {天候} {備考}大阪報. 第7. P1. 3. (スタンプ印, 2ヶ所)「焼付」「焼付」
[写真内容] 発見当初の石室北側外部状態, 1934年 5月 2日撮影.
「蘇った古代の木乃伊-藤原鎌足-」における82頁の「22 古墳北面石積み状態 昭和9年4月22日〜26日」にコンテンツの1枚目が対応している.
[写真内容] 石室に於ける夾紵棺, 1934年 5月撮影.
「蘇った古代の木乃伊-藤原鎌足-」における84頁の「25 墓室内部 昭和9年4月26日か」にコンテンツの1枚目が対応している.
[写真内容] 石室内面観 棺台, 1934年 5月 2日撮影.
「蘇った古代の木乃伊-藤原鎌足-」における85頁の「27 墓室内部 棺台が高く周囲の排水用溝がかなり深い 昭和9年4月26日か」にコンテンツの1枚目が対応している. 「蘇った古代の木乃伊-藤原鎌足-」においては一部トリミングがされている.
[写真内容] 石室北辺地盤掘鑿状態, 1934年 5月 2日撮影.
{品名}石室北辺地盤掘鑿状態 {場所}高槻市奈佐阿武山古墳 {撮影者} {現像者} 1935{年} 5{月} 2{日撮影} {天候} {備考}大阪報. 第7. P1. 3. (スタンプ印, 2ヶ所)「焼付」「焼付」
[考古学研究室保管箱] 30326-30339 大阪府 高槻市 阿武山古墳, [1961年以降に整理ヵ.].
箱蓋全面に貼紙, その上に記載. 箱蓋下側面に「30326 -30339 大阪府」, 上側面に「19 高槻 阿武山」(「19」のみ赤字)と記載. この箱内のガラス乾板の収納には, いずれも「京都大学文学部」名入記入欄印刷透写紙様袋(ハトロン紙またはグラシン紙ヵ)が使用されていることから, 第二次大戦後の新制大学以降に整理されたとみられる.
なお, 考古学教室・考古学研究室は, 梅原教授のもとで小林行雄(助手1935-1953年)が担当して写真付きカードによる基礎資料を作成したという(京大百年史・文1997). ガラス乾板は, かかる基礎資料に対応した収納・整理が淵源となっているとかんがえられる.
[複写物]摂津の古墳墓
表紙に手書きで「考古学雑誌 第四巻第八号 第七巻第七号,摂津の古墳墓,梅原末治」とある.内容は以下のとおり.「摂津の古墳墓 梅原末治」.一 今城家と三島藍野陵と.二 今城塚の陪塚の就いて.三 耳原村の方形墳.四 藤原鎌足公の阿威山墓.五 土室村附近の古墳と発見遺物と.ほか.「摂津に於ける藤原鎌足阿威山墓を否定し併して其大和多武峯改葬説をも否認す,谷井濟一」.一 緒言.二 藤原鎌足阿威山墓を否定す.「摂津の古墳墓(補遺) 梅原末治」 一 再び前塚に就て.二 二子塚出土の異形埴輪に就て.三 土室村石塚発見の古鏡に就て.四 所謂阿威山墓に就て.五 稲荷山古墳に就て.ほか.
[複写物]摂津阿武山古墓調査報告, 表紙記載による., 1936-03
表紙に手書きで「大阪府史蹟名勝天然紀念物調査報告,第七輯,昭和十一年三月,摂津阿武山古墓調査報告,梅原末治」とある.内容は以下のとおり.(1)摂津阿武山古墓調査報告書.一.序説.二.古墓の位置.三.遺跡の発見と調査の経過.四.古墓の構造.五.夾紵棺と棺内の遺骸.六.後記:遺跡の性質と其の年代.(2)附録.第一 阿武山古墳人骨の人類学的研究,京都帝国大学教授医学博士,淸野謙次,同 医学部講師医学士,三宅宗悦.第二 阿武山古墳の乾漆棺内に於いて発見されたる布片,京都帝国大学教授医学博士,淸野謙次,同 医学部講師医学士,三宅宗悦.第三 阿武山古墳の漆喰につきて,上村六郎.
[複写物]石塚町片山出土 土面岩版, 資料の手書き記載による., 1977-01-13
(以下,鉛筆による記載抜粋)「梅原末治先生が作って下された拓のコピーです.昭和四十年頃のものです.」,「1977年1月13日発の手紙」.