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[映画] (2) 1972.1.28 〜 2.12 (嵐山ニホンザル記録映像, カラー, 途中からモノクロ; 木登り, 餌やり, 小屋, 木橋渡りなど)., 1972[年] 1[月].28[日] 〜 1972[年] 2[月].12[日]. [リール鉛筆記載.]

 ファイル
資料番号: CAAS MOV 2020/1 / 2

範囲と内容

本資料は, 京都嵐山に住むニホンザルの群れが1966年6月に嵐山A群・嵐山B群へ分裂した後, 1972年2月に嵐山A群を全頭捕獲調査し米国テキサスへ移送した際の記録映像である. 捕獲調査前の1971年12月から調査直前までの記録や, 調査・移送後の1973年12月の残された嵐山B群のようすを映した記録を含んでいる.

1972年2月の嵐山A群全頭捕獲調査とその前後の経緯(小山・乗越1984)の概略は, つぎのとおり. ニホンザル嵐山群は研究開始後の餌づけによって分裂後も増加し, 岩田山中腹の餌場への依存度を高め, 岩田山からはみだした個体が保津川沿いの寺社・人家へ侵入する“猿害”が問題となっていた. 一方, 1968年の日米科学協力事業の共同研究から, 嵐山A群・B群のどちらか一方をアメリカ合衆国へ移住させ, 遺伝的に源を同じくする日米2つの群れの間の比較研究の計画が起こってきた. その後, アメリカ側の準備が進められ, 放飼実験場選定難航の末, テキサス州ラレード在住のE. ドライデン氏の土地使用の提供があった. 1971年12月よりA群の餌場へ捕獲用のフェンス(高さ2mに20m四方の魚網をかぶせたもの)が少しずつ作られ, この餌場で餌が与えられていた. 1976年2月16日よりA群の捕獲が開始され, 22日までに156頭を捕獲・調査し(うち4頭逃走, 1頭死亡), たとえば性・年令・体重等が明らかになった(真野ほか1972). このうち150頭がテキサス州ラレードのラ・モカへ送られ, 嵐山A群は“嵐山ウエスト群”と改名された.

前掲の経緯の概略から, [映画] (1) から [映画] (3) の途中まで(資料番号CAAS MOV 2020/1 / 1〜3)に捕獲調査前の準備期間の状況が記録され, [映画] (3) の途中から [映画] (4) まで(資料番号CAAS MOV 2020/1 / 3・4)に捕獲調査と日本における移送の状況が記録されたもの, とわかる. [映画] (5) と [映画] (6) (資料番号CAAS MOV 2020/1 / 5・6)は, 映画フィルムのリールや収納箱への記載によれば, 捕獲調査の準備期間と同じくらいの季節で翌年の残された嵐山B群の状況が記録されている. なお, [映画] (5) と [映画] (6) の日付は, その番号の順序と逆である.

日付

  • 作成: 1972[年] 1[月].28[日] 〜 1972[年] 2[月].12[日]. [リール鉛筆記載.]

作成者

資料の言語

日本語 Japanese

資料の言語

English

利用条件

映像・画像二次利用は要申請

分量(全体)

1 本.

物理的特性と技術的要件

リール型「ELMO」8穴.

出所・作成(表示) | Origination (exp.)

小山直樹. [側面スタンプ印. ]

«ARK(former)»

https://peek.rra.museum.kyoto-u.ac.jp/ark:/62587/ar111246.111248

リポジトリの詳細

つぎのリポジトリの一部: Kyoto University Research Resource Archive リポジトリ

連絡先:
(運営責任部局) 京都大学総合博物館 The Kyoto University Museum
左京区 吉田本町 Sakyo-ku Yoshida honmachi,
京都市 Kyoto city, 京都府 Kyoto prefecture, 606-8501 Japan