1959 ゴリラ(Gorilla).::[ネガ]
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[35コマ目]「ゴリラの頭骨標本(3)」, 1959年8月.
河合解説「〔場所〕マケレレ・カレッジ,〔資料内容〕側面。頭骨は大きいが、脳容量は500~500ccと小さい」
[35コマ目]「サバンナの道」, 1959年8月.
河合解説「〔場所〕アルーシャへの道,〔資料内容〕公園内の道は舗装しない。アルーシャへ向かう道はアスファルト舗装」
[35コマ目]「ナイロビ(1)」, 1959年8月.
河合解説「〔場所〕ナイロビ,〔資料内容〕ナイロビは世界の美しい5都市のひとつに選ばれている」
[35コマ目]「ナイロビ市街」, 1959年5月.
河合解説「〔場所〕ナイロビ,〔資料内容〕ナイロビは世界の美しい町10の中に入っている」
[35コマ目]「調査」, 1959年.
河合解説「〔場所〕ムハブラ,〔資料内容〕ひたすらゴリラの足跡をつける。前からルーベン、河合、ガジュガミ、ダイク君(観光客)」
[36コマ目]「クロサイ(4)」, 1959年8月.
河合解説「〔場所〕アンボセリ野生動物保護区」
[36コマ目]「ゴリラの頭骨標本(4)」, 1959年8月.
河合解説「〔場所〕マケレレ・カレッジ,〔資料内容〕上部からの写真」
[36コマ目]「ゴリラを探す」, 1959年.
河合解説「〔場所〕カフジ山麓,〔資料内容〕ゴリラを探す。左から水原、河合」
[36コマ目]「ナイロビ(2)」, 1959年8月.
河合解説「〔場所〕ナイロビ,〔資料内容〕フェニックスヤシの並木」
[36コマ目]「ナイロビの街」, 1959年5月.
河合解説「〔場所〕ナイロビ,〔資料内容〕通りは広く、街路樹は豊か。ジャカランダの花の紫が美しい」
[36コマ目]「モストフォレスト」, 1959年.
河合解説「〔場所〕ムガヒンガとムハブラの間のサドル(鞍部),〔資料内容〕前から、ペテ、ルーベン、河合、カジュガミ、ダイク君(観光客)」
[36コマ目]「放牧の山羊」, 1959年8月.
河合解説「〔場所〕アルーシャへの道,〔資料内容〕放牧の牛や山羊の管理は少年の仕事だ」
[36コマ目]「牧童とアンコーレ牛」, 1959年.
河合解説「〔場所〕キソロ村,〔資料内容〕放牧牛の管理は少年の仕事だ」
[37コマ目]「ナイロビ(3)」, 1959年8月.
河合解説「〔場所〕ナイロビ郊外,〔資料内容〕主要道路はアスファルト舗装」
[37コマ目]「パイプラインを降りる」, 1959年.
河合解説「〔場所〕ムハブラ,〔資料内容〕後ろからルーベン、水原」
[2コマ目]「×」
ネガカバー表紙に付箋「フィルム No. (14) (32)」(丸括弧数字の原記載は丸数字, 以下同)あり. ネガカバーのフィルムスリーブ部分, 34・35カット目それぞれ「4」の書き込み, 上下逆に4・14・32カット目「4」「○」「(4)-1」「■ 1」「32」「○ (4)-2」の書き込み,スリーブ6段いずれも右より延びる赤線の書き込みあり. 焼き付け・焼き増し指示か.
[1コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[10コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[12コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[4コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[7コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[9コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[11コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[7コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[8コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[10コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[11コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[12コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[25コマ目]「×」
ネガカバー表紙に付箋「フィルム No. (14) (32)」(丸括弧数字の原記載は丸数字, 以下同)あり. ネガカバーのフィルムスリーブ部分, 34・35カット目それぞれ「4」の書き込み, 上下逆に4・14・32カット目「4」「○」「(4)-1」「■ 1」「32」「○ (4)-2」の書き込み,スリーブ6段いずれも右より延びる赤線の書き込みあり. 焼き付け・焼き増し指示か.
[28コマ目]「?」
ネガカバー表紙に付箋「フィルム No. (14) (32)」(丸括弧数字の原記載は丸数字, 以下同)あり. ネガカバーのフィルムスリーブ部分, 34・35カット目それぞれ「4」の書き込み, 上下逆に4・14・32カット目「4」「○」「(4)-1」「■ 1」「32」「○ (4)-2」の書き込み,スリーブ6段いずれも右より延びる赤線の書き込みあり. 焼き付け・焼き増し指示か.
[7コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[13コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[22コマ目]「?」, 1959年.
河合解説「〔場所〕コンゴ、ゴマかブガブの街?,〔資料内容〕よく分からない」
[29コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[30コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[1コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[31コマ目]「?」, 1959年.
河合解説「〔場所〕エドワード湖畔,〔資料内容〕使途不明」
[13コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[14コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[15コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[16コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[29コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[31コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[32コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[1コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[22コマ目]「×」
本資料は, 1959年に行われた「財団法人日本モンキーセンター第二次ゴリラ探検」[調査地;ウガンダ・コンゴ・ルアンダ(マウンテンゴリラ)]の際に撮影されたものである. 調査団には, 河合雅雄(代表), 水原洋城が参加していた.
[5コマ目]「Nest(1)」, 1959年.
河合解説「〔場所〕カヨンザ,〔資料内容〕Nestは毎夜作る。糞を残していることが多い。糞の大きさで、シルバーバック、おとな雌、コドモ等が判定できる」
[6コマ目]「Nest(2)」, 1959年.
河合解説「〔場所〕カヨンザ,〔資料内容〕低木を倒してネスト作りに使う」
[29コマ目]「アイモで撮影」, 1959年.
河合解説「〔場所〕エドワード湖畔,〔資料内容〕アイモ(ベルハウエル)で撮映する河合」