5:研究資料(研究者別)Research materials by researcher,1906–2001::岡村圭真 Keishin OKAMURA,1963–1978
7 コレクションおよび/またはレコード 表示:
[上山春平宛岡村圭真書簡]
(書簡本文より)「題が改めて掘り下げられようとしております.その意味でもいろいろとご教示を仰ぎたいことが多いのですが明日,学会での発表がありますので本日はこの辺で…」.(書簡本文より)「拝啓,こゝ一両日めっきり黄葉の□が濃くなり始めました.先日は大変に御多忙の□をわざわざ御来山頂きましたことを心から感謝いたしております.…」.(書簡本文より)「謹啓,ホトドギスの声に夜半の心を慰めれらる頃です.その後尊兄には御機嫌如何でしょうか.過般は学会のお疲れにも拘りませず, □□と貴重なお話を拝聴できまして本当に有難く心より感謝いたしております.…」.
富永仲基と慈雲飲光:近世密教の一動向
『高野山開創千百五十年記念,密教学密教史論文集』, p.141-p.160.
岡村圭真, 1963-1978
岡村圭真氏著論文の抜刷,雑誌,書簡等,計6件から構成される.
慈雲の生涯と思想, 発行日による., 1963-05-01
『墨美』,慈雲尊者,五月号,第127号,昭和38年5月1日発行.
慈雲尊者研究序説
『高野山大学論群第二巻』,(一九六六・一〇), p.35-p.79.内容は以下のとおり.(1)問題の所在.(2)慈雲における密教の理解.(3)「十善法語」の問題.
[複写物]西洋哲学と密教:密教哲学の新しい可能性のための覚書, 手書き記載による., 1978-09-30
p.223-p.251.「講座密教,第1巻,『密教の理論と実践』所収, 1978.9.30」の手書きあり.(本文より)「およそ宗教にとって対話が必要であるか,それは問題であろう.また宗教の対話ということが可能なのかどうか,実際上,はなはだ疑問とせねばならない.にもかかわらず宗教の対話が問題とされねばならないような状況は,確かに存在する.たとえばヤスパースは,今日われわれが求めているのは,あらゆる信仰をもった人たちが自由に,しかも真に有意義な仕方で出会いうるような共通の地盤だという.かれはそこで,それぞれの固有な歴史的伝統を捨てるのではなくして,かえって新たに自分のものとし,純化し,変革することができるような地盤ということを考えているのである.…」.