7:研究資料(古代山城)Research materials on ancient mountain castles,1971–1991::[複写物,地図][如意ヶ岳城,北白川城関係資料]
18 コレクションおよび/またはレコード 表示:
[複写物]北白川名勝古蹟 勝軍地蔵堂,如意ヶ岳城, 資料の記載による., 1978-04-30
内容は以下のとおり.(1)北白川名勝古蹟,勝軍地蔵堂,勝軍地蔵縁起.(本文より)「山城国愛宕郡北白川瓜生山勝軍地蔵菩薩は,後光巌院御字延文六年二月晦日としるし侍れとも, …」.(2)「?このあたりに何かありそう.」と書かれた手書きの地図,(1978.3).(3)如意ヶ岳城, 1/2500,(1978.4.30,上山春平作図).(4)遺跡,古墳,寺院の地図.
[複写物]北白川城(南城), 資料の記載による., 1979-12-02
手書きの地図.「測量1979年11月25日, 12月1日,作図1979年12月2日」.
[複写物]北白川城(南城), 資料の記載による., 1979-12-02
手書きの地図.「測量1979年11月25日, 12月1日,作図1979年12月2日」.
[複写物]北白川城(城趾一覧図)
1/2500,(1978.4.28,上山春平作図).
[複写物]北白川瓜生山勝軍地蔵資料
内容は以下のとおり.(1)北白川瓜生山勝軍地蔵資料.(本文より)「(1520)永正17.2.17,十七日子丙,昨夜.摂州合戦.細川高國敗走…」.「(以上「後鎧」国史大系本より)」の記載あり.(2)別表XI享禄~天文期畿内武将移動一覧(「第四章 落日の室町幕府」, p.184-p.185).「4」の記載あり.(3)別表XIV弘治永禄期幕府重職移動表(「第四章 落日の室町幕府」, p.202-p.203).「5」の記載あり.(3)三好氏略系図(p.260-p.261).「7」の記載あり.(3)足利氏略系図・細川氏略系図(p.262-p.263).「6」の記載あり.
[複写物][地図]如意ヶ岳城
[複写物][地図]如意ヶ岳城, 資料の記載による., 1978-04-30
(上から順に) (1)大文字山周辺の地図.(2)如意ヶ岳城, 1/2500,(1978.4.30,上山春平作図).(3)北白川地蔵谷町周辺の地図.
[複写物,地図][如意ヶ岳城,北白川城関係資料], 1978-1982
如意ヶ岳城,北白川城等,京都近郊の(手書きを含む)地図及び関連文献資料の複写等,計17件から構成される.
[複写物]多聞院日記十四
永禄十一年九月, p.86-p.89.(p.87本文より)「一 三好山城人數三千余西京辺へ打越了,何事共シレス,奈良中陣取ハ寺門ヨリ届ニテ無之,一 合場八石米付,庄屋ニ人ヲ竹田マコ四郎同道ノ上之間,花厳院ヘ引合了…」.「三好康長」,「松永の多聞城」,「十市の娘(人質)」などの書き込み.
[複写物]多聞院日記十四
(1)永禄十一年九月, p.88-p.89.(p.88本文より)「一 今日ヨリ於十三重郡参論在之,出了,十三日,論ヘ出了,まこ東女儀付南ヘ下了,月スキ如形了…」.「多聞院より派遣」,「三好政康」などの書き込み.(2)「略年譜」, p.266-p.275.「江口の戦い」,「越水城」,「飯森城」,「芥川城」などの書き込み.(3)『三好長慶』(長江正一著,昭和43年6月20日初版,吉川弘文館)の奥付.
[複写物][大山,銀閣周辺地図], 資料の記載による., 1978-03
(上から順に) (1)「銀閣」,「堀アト?」などが書かれた手書きの地図,(1978.3,大山,銀閣守□).(2)「ひょっとしたらここにも堀があるかもしれない.」,「銀閣の堀を内郭にして,法然院の堀を外郭とすると,大文字の下のテラスを最外郭線に取りこんでいたかもしれません.」などが書かれた手書きの地図.(3)「?このあたりに何かありそう.」などが書かれた手書きの地図,(1978.3,物見矢倉の城).(4)「水1mx2m.それほど古いものではない.(水は出やすい所)」などが書かれた手書きの地図.
[複写物][大文字周辺地図]
「大山,法然院山,百姓山,新林,めをと石,岩山,中尾山,大」の書き込みあり.
[複写物][大文字周辺地図]
「大山,法然院山,百姓山,新林,めをと石,岩山,中尾山,大」の書き込みあり.
[複写物]如意ヶ岳城,[大山,銀閣周辺地図], 資料の記載による., 1978-03/1978-04-30.
(上から順に) (1)「銀閣」,「堀アト?」などが書かれた手書きの地図,(1978.3,大山,銀閣守□).(2)如意ヶ岳城, 1/2500,(1978.4.30,上山春平作図).(3)「物見矢倉の城のつづき」と書かれた手書きの地図.(4)「?このあたりに何かありそう.」などが書かれた手書きの地図,(1978.3,物見矢倉の城).(5)「ひょっとしたらここにも堀があるかもしれない.」,「銀閣の堀を内郭にして,法然院の堀を外郭とすると,大文字の下のテラスを最外郭線に取りこんでいたかもしれません.」などが書かれた手書きの地図.
[複写物]嵐山城の遺構と歴史, 資料の記載による., 1978-05-05
内容は以下のとおり.(1)主要参考文献, p.276-p.277.(2)「特別企画,嵐山城の遺構と歴史,上山春平」.(本文より)「嵐山城というのは,戦国時代,嵐山の頂上のあたりに築かれた城で,いまは,曲輪(くるわ)(峯や尾根などを平らに整地して陣を構えた場所)の跡が六つばかり残っているだけで,石垣や建物は残っていない.…」(p.50-p.51).嵐山周辺の地図,「作図,上山春平, 1978.5.5」(p.52).
[複写物]「戦国の城と庭」資料, 資料の記載による., 1982-03-31
内容は以下のとおり.(1)I足利将軍家系図.(2)II戦国時代の将軍.(3)III細川京兆家系図.(4)IV戦国時代の細川京兆家.(5)V戦国畿内の主要事件.