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1940年白頭山・待花江水源

 主題
件名:ソース: Ku Peek Class

8 コレクションおよび/またはレコード 表示:

1940年 白頭山・松花江水源, [1940年7月19日〜9月初め.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 40HAK
範囲と内容

松花江の源流をトレース地図の誤りを訂正する結果を得た遠征に関する資料.

1940年7月19日日本海沿岸の清津発、冠帽峰連山を越え摩天嶺山脈を越え、胞胎山群を越えて鴨緑江源流域に入った. 胞胎里を8月11日発、13日に白頭山最高点大正峰2744mに登頂。このあと国境線を越えて火口湖天池から北へ進み、満州国領松花江水源域にくだり、密林地帯の中を二道白河沿いに歩いて安図に着いた. 第二松花江源流の確認者という探検史上の成果をもたらした. 新京(現在の長春)を経由、9月初めに京都に帰った.

[関係者名] 梅棹忠夫, 藤田和夫, 伴 豊, 三高山岳部.

日付: [1940年7月19日〜9月初め.]

その他

 サブシリーズ
資料番号: 40HAK / 6
範囲と内容 シリーズ :

松花江の源流をトレース地図の誤りを訂正する結果を得た遠征に関する資料.

1940年7月19日日本海沿岸の清津発、冠帽峰連山を越え摩天嶺山脈を越え、胞胎山群を越えて鴨緑江源流域に入った. 胞胎里を8月11日発、13日に白頭山最高点大正峰2744mに登頂。このあと国境線を越えて火口湖天池から北へ進み、満州国領松花江水源域にくだり、密林地帯の中を二道白河沿いに歩いて安図に着いた. 第二松花江源流の確認者という探検史上の成果をもたらした. 新京(現在の長春)を経由、9月初めに京都に帰った.

[関係者名] 梅棹忠夫, 藤田和夫, 伴 豊, 三高山岳部.

日付: [1940年7月19日〜9月初め.]

出版物

 サブシリーズ
資料番号: 40HAK / 2
範囲と内容 シリーズ :

松花江の源流をトレース地図の誤りを訂正する結果を得た遠征に関する資料.

1940年7月19日日本海沿岸の清津発、冠帽峰連山を越え摩天嶺山脈を越え、胞胎山群を越えて鴨緑江源流域に入った. 胞胎里を8月11日発、13日に白頭山最高点大正峰2744mに登頂。このあと国境線を越えて火口湖天池から北へ進み、満州国領松花江水源域にくだり、密林地帯の中を二道白河沿いに歩いて安図に着いた. 第二松花江源流の確認者という探検史上の成果をもたらした. 新京(現在の長春)を経由、9月初めに京都に帰った.

[関係者名] 梅棹忠夫, 藤田和夫, 伴 豊, 三高山岳部.

日付: [1940年7月19日〜9月初め.]

動画・音声

 サブシリーズ
資料番号: 40HAK / 5
範囲と内容 シリーズ :

松花江の源流をトレース地図の誤りを訂正する結果を得た遠征に関する資料.

1940年7月19日日本海沿岸の清津発、冠帽峰連山を越え摩天嶺山脈を越え、胞胎山群を越えて鴨緑江源流域に入った. 胞胎里を8月11日発、13日に白頭山最高点大正峰2744mに登頂。このあと国境線を越えて火口湖天池から北へ進み、満州国領松花江水源域にくだり、密林地帯の中を二道白河沿いに歩いて安図に着いた. 第二松花江源流の確認者という探検史上の成果をもたらした. 新京(現在の長春)を経由、9月初めに京都に帰った.

[関係者名] 梅棹忠夫, 藤田和夫, 伴 豊, 三高山岳部.

日付: [1940年7月19日〜9月初め.]

文書類

 サブシリーズ
資料番号: 40HAK / 1
範囲と内容 シリーズ :

松花江の源流をトレース地図の誤りを訂正する結果を得た遠征に関する資料.

1940年7月19日日本海沿岸の清津発、冠帽峰連山を越え摩天嶺山脈を越え、胞胎山群を越えて鴨緑江源流域に入った. 胞胎里を8月11日発、13日に白頭山最高点大正峰2744mに登頂。このあと国境線を越えて火口湖天池から北へ進み、満州国領松花江水源域にくだり、密林地帯の中を二道白河沿いに歩いて安図に着いた. 第二松花江源流の確認者という探検史上の成果をもたらした. 新京(現在の長春)を経由、9月初めに京都に帰った.

[関係者名] 梅棹忠夫, 藤田和夫, 伴 豊, 三高山岳部.

日付: [1940年7月19日〜9月初め.]

新聞記事

 サブシリーズ
資料番号: 40HAK / 3
範囲と内容 シリーズ :

松花江の源流をトレース地図の誤りを訂正する結果を得た遠征に関する資料.

1940年7月19日日本海沿岸の清津発、冠帽峰連山を越え摩天嶺山脈を越え、胞胎山群を越えて鴨緑江源流域に入った. 胞胎里を8月11日発、13日に白頭山最高点大正峰2744mに登頂。このあと国境線を越えて火口湖天池から北へ進み、満州国領松花江水源域にくだり、密林地帯の中を二道白河沿いに歩いて安図に着いた. 第二松花江源流の確認者という探検史上の成果をもたらした. 新京(現在の長春)を経由、9月初めに京都に帰った.

[関係者名] 梅棹忠夫, 藤田和夫, 伴 豊, 三高山岳部.

日付: [1940年7月19日〜9月初め.]

画像

 サブシリーズ
資料番号: 40HAK / 4
範囲と内容 シリーズ :

松花江の源流をトレース地図の誤りを訂正する結果を得た遠征に関する資料.

1940年7月19日日本海沿岸の清津発、冠帽峰連山を越え摩天嶺山脈を越え、胞胎山群を越えて鴨緑江源流域に入った. 胞胎里を8月11日発、13日に白頭山最高点大正峰2744mに登頂。このあと国境線を越えて火口湖天池から北へ進み、満州国領松花江水源域にくだり、密林地帯の中を二道白河沿いに歩いて安図に着いた. 第二松花江源流の確認者という探検史上の成果をもたらした. 新京(現在の長春)を経由、9月初めに京都に帰った.

[関係者名] 梅棹忠夫, 藤田和夫, 伴 豊, 三高山岳部.

日付: [1940年7月19日〜9月初め.]

京都大学学士山岳会京都大学学術探検登山資料, ca.1931-1970. The Academic Alpine Club of Kyoto Collection, ca.1931-1970.

 コレクション
資料番号: AACK MIXED 2013/1
要約 京都大学学士山岳会(Academic Alpine Club Kyoto)は,1931年に設立されこれまでに数々の学術探検登山派遣の母体となってきた.大興安嶺探検隊やカラコラム・ヒンズークシュ学術探検隊などをはじめとする京都大学学術探検登山資料の多くは, 京都大学学士山岳会で保管されてきた. 資料の中には, 文書・写真・映像・学術探検登山用具などが含まれる. 当時の京都大学学術探検登山の活動の軌跡を記す貴重な資料である. The Academic Alpine Club of Kyoto was established in 1931, and has sent many scientific expeditions. Most of materials about the expeditions, including the Greater Khingan Range expedition and the Karakoram-Hindukush expedition, have been kept in the Academic Alpine Club of Kyoto....
日付: 1960-1970