1940年白頭山・待花江水源::出版物
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宮崎武夫.「京都帝大白頭山遠征行程」.『ケルン』22号. pp.6-12
松花江の源流をトレース地図の誤りを訂正する結果を得た遠征に関する資料.
1940年7月19日日本海沿岸の清津発、冠帽峰連山を越え摩天嶺山脈を越え、胞胎山群を越えて鴨緑江源流域に入った. 胞胎里を8月11日発、13日に白頭山最高点大正峰2744mに登頂。このあと国境線を越えて火口湖天池から北へ進み、満州国領松花江水源域にくだり、密林地帯の中を二道白河沿いに歩いて安図に着いた. 第二松花江源流の確認者という探検史上の成果をもたらした. 新京(現在の長春)を経由、9月初めに京都に帰った.
[関係者名] 梅棹忠夫, 藤田和夫, 伴 豊, 三高山岳部.
梅棹忠夫.「白頭山をこえて満洲へ」.『京都探検地理学会年報』第2輯: pp. 33-47.
松花江の源流をトレース地図の誤りを訂正する結果を得た遠征に関する資料.
1940年7月19日日本海沿岸の清津発、冠帽峰連山を越え摩天嶺山脈を越え、胞胎山群を越えて鴨緑江源流域に入った. 胞胎里を8月11日発、13日に白頭山最高点大正峰2744mに登頂。このあと国境線を越えて火口湖天池から北へ進み、満州国領松花江水源域にくだり、密林地帯の中を二道白河沿いに歩いて安図に着いた. 第二松花江源流の確認者という探検史上の成果をもたらした. 新京(現在の長春)を経由、9月初めに京都に帰った.
[関係者名] 梅棹忠夫, 藤田和夫, 伴 豊, 三高山岳部.
梅棹忠夫・藤田和夫.「北鮮の山々と白頭山」.『三高山岳部報告』第15号:1-85.
松花江の源流をトレース地図の誤りを訂正する結果を得た遠征に関する資料.
1940年7月19日日本海沿岸の清津発、冠帽峰連山を越え摩天嶺山脈を越え、胞胎山群を越えて鴨緑江源流域に入った. 胞胎里を8月11日発、13日に白頭山最高点大正峰2744mに登頂。このあと国境線を越えて火口湖天池から北へ進み、満州国領松花江水源域にくだり、密林地帯の中を二道白河沿いに歩いて安図に着いた. 第二松花江源流の確認者という探検史上の成果をもたらした. 新京(現在の長春)を経由、9月初めに京都に帰った.
[関係者名] 梅棹忠夫, 藤田和夫, 伴 豊, 三高山岳部.
梅棹忠夫,藤田和夫編.『白頭山の青春』. 256pp.
松花江の源流をトレース地図の誤りを訂正する結果を得た遠征に関する資料.
1940年7月19日日本海沿岸の清津発、冠帽峰連山を越え摩天嶺山脈を越え、胞胎山群を越えて鴨緑江源流域に入った. 胞胎里を8月11日発、13日に白頭山最高点大正峰2744mに登頂。このあと国境線を越えて火口湖天池から北へ進み、満州国領松花江水源域にくだり、密林地帯の中を二道白河沿いに歩いて安図に着いた. 第二松花江源流の確認者という探検史上の成果をもたらした. 新京(現在の長春)を経由、9月初めに京都に帰った.
[関係者名] 梅棹忠夫, 藤田和夫, 伴 豊, 三高山岳部.