1948年自然史学会
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1948年 自然史学会, [1948年2月(自然史学会例会初回)〜1952年10月(例会第53回).], [1948-02-01/1952-10-31.]
自然史学会に関する資料.
大陸から引き揚げてきた今西錦司、藤枝 晃、中尾佐助、梅棹忠夫らが西北研究所などでの学術調査の成果を発表するために、「自然科学と人文科学との接触領域における具体的研究の促進」をうたって、自然史学会を創設した. 最初の例会を1948年2月、東方文化研究所(翌49年4月京大人文科学研究所に統合)でもち、中尾(当時、木原生物学研究所)が「ユウマイ文化圏」を発表. 会則は、その例会に集まった者であるとした. 第2囘は今西(京都大学理学部)の「遊牧論」. 2年後に学会誌として『自然と文化』(NATURA et CULTURA)を刊行する際に、京大農学部教授の並河功が会長に就任した. 例会は1952年10月の第53回まで継続開催された.
[関係者名] 中尾佐助, 今西錦司, 藤枝晃, 梅棹忠夫, 並河功.
その他
自然史学会に関する資料.
大陸から引き揚げてきた今西錦司、藤枝 晃、中尾佐助、梅棹忠夫らが西北研究所などでの学術調査の成果を発表するために、「自然科学と人文科学との接触領域における具体的研究の促進」をうたって、自然史学会を創設した. 最初の例会を1948年2月、東方文化研究所(翌49年4月京大人文科学研究所に統合)でもち、中尾(当時、木原生物学研究所)が「ユウマイ文化圏」を発表. 会則は、その例会に集まった者であるとした. 第2囘は今西(京都大学理学部)の「遊牧論」. 2年後に学会誌として『自然と文化』(NATURA et CULTURA)を刊行する際に、京大農学部教授の並河功が会長に就任した. 例会は1952年10月の第53回まで継続開催された.
[関係者名] 中尾佐助, 今西錦司, 藤枝晃, 梅棹忠夫, 並河功.
出版物
自然史学会に関する資料.
大陸から引き揚げてきた今西錦司、藤枝 晃、中尾佐助、梅棹忠夫らが西北研究所などでの学術調査の成果を発表するために、「自然科学と人文科学との接触領域における具体的研究の促進」をうたって、自然史学会を創設した. 最初の例会を1948年2月、東方文化研究所(翌49年4月京大人文科学研究所に統合)でもち、中尾(当時、木原生物学研究所)が「ユウマイ文化圏」を発表. 会則は、その例会に集まった者であるとした. 第2囘は今西(京都大学理学部)の「遊牧論」. 2年後に学会誌として『自然と文化』(NATURA et CULTURA)を刊行する際に、京大農学部教授の並河功が会長に就任した. 例会は1952年10月の第53回まで継続開催された.
[関係者名] 中尾佐助, 今西錦司, 藤枝晃, 梅棹忠夫, 並河功.
動画・音声
自然史学会に関する資料.
大陸から引き揚げてきた今西錦司、藤枝 晃、中尾佐助、梅棹忠夫らが西北研究所などでの学術調査の成果を発表するために、「自然科学と人文科学との接触領域における具体的研究の促進」をうたって、自然史学会を創設した. 最初の例会を1948年2月、東方文化研究所(翌49年4月京大人文科学研究所に統合)でもち、中尾(当時、木原生物学研究所)が「ユウマイ文化圏」を発表. 会則は、その例会に集まった者であるとした. 第2囘は今西(京都大学理学部)の「遊牧論」. 2年後に学会誌として『自然と文化』(NATURA et CULTURA)を刊行する際に、京大農学部教授の並河功が会長に就任した. 例会は1952年10月の第53回まで継続開催された.
[関係者名] 中尾佐助, 今西錦司, 藤枝晃, 梅棹忠夫, 並河功.
文書類
自然史学会に関する資料.
大陸から引き揚げてきた今西錦司、藤枝 晃、中尾佐助、梅棹忠夫らが西北研究所などでの学術調査の成果を発表するために、「自然科学と人文科学との接触領域における具体的研究の促進」をうたって、自然史学会を創設した. 最初の例会を1948年2月、東方文化研究所(翌49年4月京大人文科学研究所に統合)でもち、中尾(当時、木原生物学研究所)が「ユウマイ文化圏」を発表. 会則は、その例会に集まった者であるとした. 第2囘は今西(京都大学理学部)の「遊牧論」. 2年後に学会誌として『自然と文化』(NATURA et CULTURA)を刊行する際に、京大農学部教授の並河功が会長に就任した. 例会は1952年10月の第53回まで継続開催された.
[関係者名] 中尾佐助, 今西錦司, 藤枝晃, 梅棹忠夫, 並河功.
新聞記事
自然史学会に関する資料.
大陸から引き揚げてきた今西錦司、藤枝 晃、中尾佐助、梅棹忠夫らが西北研究所などでの学術調査の成果を発表するために、「自然科学と人文科学との接触領域における具体的研究の促進」をうたって、自然史学会を創設した. 最初の例会を1948年2月、東方文化研究所(翌49年4月京大人文科学研究所に統合)でもち、中尾(当時、木原生物学研究所)が「ユウマイ文化圏」を発表. 会則は、その例会に集まった者であるとした. 第2囘は今西(京都大学理学部)の「遊牧論」. 2年後に学会誌として『自然と文化』(NATURA et CULTURA)を刊行する際に、京大農学部教授の並河功が会長に就任した. 例会は1952年10月の第53回まで継続開催された.
[関係者名] 中尾佐助, 今西錦司, 藤枝晃, 梅棹忠夫, 並河功.
画像
自然史学会に関する資料.
大陸から引き揚げてきた今西錦司、藤枝 晃、中尾佐助、梅棹忠夫らが西北研究所などでの学術調査の成果を発表するために、「自然科学と人文科学との接触領域における具体的研究の促進」をうたって、自然史学会を創設した. 最初の例会を1948年2月、東方文化研究所(翌49年4月京大人文科学研究所に統合)でもち、中尾(当時、木原生物学研究所)が「ユウマイ文化圏」を発表. 会則は、その例会に集まった者であるとした. 第2囘は今西(京都大学理学部)の「遊牧論」. 2年後に学会誌として『自然と文化』(NATURA et CULTURA)を刊行する際に、京大農学部教授の並河功が会長に就任した. 例会は1952年10月の第53回まで継続開催された.
[関係者名] 中尾佐助, 今西錦司, 藤枝晃, 梅棹忠夫, 並河功.