1953年日本山岳会マナスル登山隊::出版物
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三田幸夫.「マナスル・一九五三年 紀行」.『山岳』第49年. pp. 1-54.
未踏峰マナスルの初登頂およびネパール学術調査を目的とした遠征に関する資料.
本隊は7750mに到達したが撤退.科学班は生物学・農学・地理学・人類学の調査をおこなった.
[関係者名] 三田幸夫(隊長), 加藤泰安(登山隊), 中尾佐助(科学班), 川喜田二郎(化学班), 日本山岳会ヒマラヤ委員会.
中尾佐助.「マナスル一九五三年科学班の旅」.『中尾佐助著作集第Ⅲ巻探検博物学』.pp. 479-500.
未踏峰マナスルの初登頂およびネパール学術調査を目的とした遠征に関する資料.
本隊は7750mに到達したが撤退.科学班は生物学・農学・地理学・人類学の調査をおこなった.
[関係者名] 三田幸夫(隊長), 加藤泰安(登山隊), 中尾佐助(科学班), 川喜田二郎(化学班), 日本山岳会ヒマラヤ委員会.
中尾佐助.「科学班の旅」.『山岳』第49年. pp. 55-84.
未踏峰マナスルの初登頂およびネパール学術調査を目的とした遠征に関する資料.
本隊は7750mに到達したが撤退.科学班は生物学・農学・地理学・人類学の調査をおこなった.
[関係者名] 三田幸夫(隊長), 加藤泰安(登山隊), 中尾佐助(科学班), 川喜田二郎(化学班), 日本山岳会ヒマラヤ委員会.
加藤泰安.「ダージリンの四日間」.『森林・草原・氷河』. pp. 37-55.
未踏峰マナスルの初登頂およびネパール学術調査を目的とした遠征に関する資料.
本隊は7750mに到達したが撤退.科学班は生物学・農学・地理学・人類学の調査をおこなった.
[関係者名] 三田幸夫(隊長), 加藤泰安(登山隊), 中尾佐助(科学班), 川喜田二郎(化学班), 日本山岳会ヒマラヤ委員会.
川喜田二郎.『ネパール王国探検記・日本人世界の屋根を行く』. 320pp
未踏峰マナスルの初登頂およびネパール学術調査を目的とした遠征に関する資料.
本隊は7750mに到達したが撤退.科学班は生物学・農学・地理学・人類学の調査をおこなった.
[関係者名] 三田幸夫(隊長), 加藤泰安(登山隊), 中尾佐助(科学班), 川喜田二郎(化学班), 日本山岳会ヒマラヤ委員会.
川喜田二郎.「調査ノートところどころ」.『山岳』第49年. pp.74-87
未踏峰マナスルの初登頂およびネパール学術調査を目的とした遠征に関する資料.
本隊は7750mに到達したが撤退.科学班は生物学・農学・地理学・人類学の調査をおこなった.
[関係者名] 三田幸夫(隊長), 加藤泰安(登山隊), 中尾佐助(科学班), 川喜田二郎(化学班), 日本山岳会ヒマラヤ委員会.
日本山岳会編.『マナスル 1952~1953』. 353pp.
未踏峰マナスルの初登頂およびネパール学術調査を目的とした遠征に関する資料.
本隊は7750mに到達したが撤退.科学班は生物学・農学・地理学・人類学の調査をおこなった.
[関係者名] 三田幸夫(隊長), 加藤泰安(登山隊), 中尾佐助(科学班), 川喜田二郎(化学班), 日本山岳会ヒマラヤ委員会.