メインコンテンツへスキップ

1956年日本山岳会マナスル登山隊::出版物

 主題
件名:ソース: Ku Peek

3 コレクションおよび/またはレコード 表示:

日本山岳会編.「マナスル1954~56」.353pp.

 アイテム
資料番号: 56MAN / 2-1
範囲と内容 シリーズ : ネパールヒマラヤ未踏峰マナスルの登頂を目的とした遠征に関する資料. 1953年の第1次隊失敗のあと、54年には第2次隊が、ふもとのサマ部落住民が聖山を汚したと反対して目標変更を迫り、ガネッシュヒマールに転進したあとを受けて、日本山岳会は1956年槙有恒隊長以下12名の第3次登山隊をマナスル(8163m)に送った。AACKからはただひとり今西壽雄が参加した。シェルパはサーダーのガルツェン・ノルブ以下20人であった。3月29日BC建設、以後順調にキャンプをのばし、5月9日7800mのCⅥから、第1次登頂隊今西とガルツェンがマナスル初登頂に成功した。11日には加藤喜一郎と日下田実が第2登で続いた。ちなみに、前年55年5月に本会会員西堀栄三郎(日本山岳会評議員)は成瀬岩雄(日本山岳会常務理事)とともにカトマンズにおもむき、サマ問題の解決のためにネパール政府と折衝し、了解を得ている。 [関係者名] 槇有恒(62歳), 小原勝郎(43歳), 今西壽雄(41歳), 辰沼広吉(39歳), 依田孝喜(38歳), 千谷壮之助(38歳),...
日付: [1956年3月〜5月.]

槇有恒.「マナスルの印象」.『山岳』.第51年. pp. 1-8

 アイテム
資料番号: 56MAN / 2-3
範囲と内容 シリーズ : ネパールヒマラヤ未踏峰マナスルの登頂を目的とした遠征に関する資料. 1953年の第1次隊失敗のあと、54年には第2次隊が、ふもとのサマ部落住民が聖山を汚したと反対して目標変更を迫り、ガネッシュヒマールに転進したあとを受けて、日本山岳会は1956年槙有恒隊長以下12名の第3次登山隊をマナスル(8163m)に送った。AACKからはただひとり今西壽雄が参加した。シェルパはサーダーのガルツェン・ノルブ以下20人であった。3月29日BC建設、以後順調にキャンプをのばし、5月9日7800mのCⅥから、第1次登頂隊今西とガルツェンがマナスル初登頂に成功した。11日には加藤喜一郎と日下田実が第2登で続いた。ちなみに、前年55年5月に本会会員西堀栄三郎(日本山岳会評議員)は成瀬岩雄(日本山岳会常務理事)とともにカトマンズにおもむき、サマ問題の解決のためにネパール政府と折衝し、了解を得ている。 [関係者名] 槇有恒(62歳), 小原勝郎(43歳), 今西壽雄(41歳), 辰沼広吉(39歳), 依田孝喜(38歳), 千谷壮之助(38歳),...
日付: [1956年3月〜5月.]

槇有恒編.「マナスル登頂記」.231.pp.

 アイテム
資料番号: 56MAN / 2-2
範囲と内容 シリーズ : ネパールヒマラヤ未踏峰マナスルの登頂を目的とした遠征に関する資料. 1953年の第1次隊失敗のあと、54年には第2次隊が、ふもとのサマ部落住民が聖山を汚したと反対して目標変更を迫り、ガネッシュヒマールに転進したあとを受けて、日本山岳会は1956年槙有恒隊長以下12名の第3次登山隊をマナスル(8163m)に送った。AACKからはただひとり今西壽雄が参加した。シェルパはサーダーのガルツェン・ノルブ以下20人であった。3月29日BC建設、以後順調にキャンプをのばし、5月9日7800mのCⅥから、第1次登頂隊今西とガルツェンがマナスル初登頂に成功した。11日には加藤喜一郎と日下田実が第2登で続いた。ちなみに、前年55年5月に本会会員西堀栄三郎(日本山岳会評議員)は成瀬岩雄(日本山岳会常務理事)とともにカトマンズにおもむき、サマ問題の解決のためにネパール政府と折衝し、了解を得ている。 [関係者名] 槇有恒(62歳), 小原勝郎(43歳), 今西壽雄(41歳), 辰沼広吉(39歳), 依田孝喜(38歳), 千谷壮之助(38歳),...
日付: [1956年3月〜5月.]