1:個人文書 Personal papers,1939–1997::経歴 Biographical::自伝資料
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なぜ土着思想に注目するか(連載対談第14回), 雑誌の発行日による., 1971-09-01
『大白蓮華』,第二百四十五号(九月号), 1971年.標題の上に,「連載対談第14回」の記載.標題の内容のページ番号は, p.26-p.32.
ヒナタの倫理とカゲの倫理:竹内好氏への手紙, 15枚目の記載による., 1962-02-23
上山春平から竹内好への書簡の形を取っている.主な内容は,「思想の科学廃棄事件」について.(1枚目の文字の上から訂正線が引かれている箇所の後の本文より)「先だっては,『魯迅』二四・五・六号,ありがとうございました.『魯迅』の御礼の筆をとって,この度の『思想の科学』廃棄事件に筆が及び,論おわらぬうちに,雑用にとりまぎれて,そのままになっていました.失礼を,お許し下さい.こんどの事件に際しましては,色々とお骨折いただき,ありがとうございました.私は,こんどの事件が,言論の自由の侵害という面からだけ問題にされることには,抵抗を感じます.…」.
[みささぎ会会長田滝禎則宛上山春平書簡], 便箋4枚目の記載による., 1971-03-07
みささぎ会会長田滝禎則に,上山春平がみささぎ会退会の旨を記した書簡と退会届.
[上山春平の著書,共著,共編,論文に関するリスト], 論文リスト中の「谷神不死 清風会報63号」横の日付による., 1985-08
内容は以下のとおり. 1枚目の「著書」リストに,「20.日本の国家を考える(対談) 徳間書店1985.2」ほか. 2枚目の「共著」リストに,「19.明治維新と近代化 小学館1884.12」ほか. 3枚目の「共編」リストに,「9.空海を解く 徳間書店1984.10」ほか. 4枚目の「論文」リストに,「92.論理から国家へ 思想722号1984.8」ほか.
[上山春平宛講談社ペック松沢実書簡], 文中記載による., 1988-08-16
内容は,訂正原稿の件について.(書簡本文より)「拝啓 ますますご壮健のこととお喜び申しあげます.先日は,さっそく訂正原稿を送っていただきまして,ありがとうございました.最終的に,同封の原稿のような著者略歴にさせていただきました.御高覧ください.お忙しいところお手数をかけ申しわけありません.…」.
世界の名著第48巻 パース,ジェイムズ,デューイ 付録24, 表紙の記載による., 1968-02
内容は以下のとおり.(1)わがプラグマティズム体験<対談>清水幾太郎,上山春平.(2)責任編集者・訳者紹介.(3)文献案内.
京都の学者, 雑誌の発行日による., 1971-08-01
『オール関西』,第6巻第8号通巻66号, 1971年.抜粋分の「京都の学者」に,研究者の略歴と写真が掲載.掲載学者は「会田雄次」,「林屋辰三郎」,「上山春平」,「梅原猛」,「梅棹忠夫」,「吉田光邦」,「多田道太郎」.
[京都大学の教授,助教授の年度末3月31日現在の満年齢表]
記載されている教授の氏名は上から「吉田光邦」,「川勝義雄」,「柳田聖山」,「竹内實」,「樋口謹一」ほか.記載されている助教授の氏名は上から「小野和子」,「勝村哲也」,「狭間直樹」,「礪波護」,「桑山正進」ほか.
京都大学人文科学研究所1984, 表紙の記載による., 1984
京都大学人文科学研究所の「沿革」,「共同研究」,「研究活動」などを紹介した冊子.
人文 第八号,第一二号,第ニ一号, 上限は第八号,下限は第二一号発行日による., 1973-09-25/1980-03-25.
内容は以下のとおり.(1)『人文』,第八号,昭和四八年九月二五日,「訪中報告」.(2)『人文』,第一二号,昭和五十年五月一日,「新館落成記念」.(3)『人文』,第二一号,昭和五十五年三月二十五日,「創立五十周年記念」.
吉川幸二郎全集第8巻月報, 表紙の記載による., 1970-03
内容は以下のとおり.(1)畏友吉川君のことなど 中野好夫.(2)百済の河成と「善」など 富永牧太.(3)吉川菩薩の御来臨 上山春平.(4)若い弟子から 小南一郎.
学歴経歴等調査票(Aの2), 資料中の「甲南女子大学文学部」の「離職年月日」の記載による., 1992-03-31
上山春平の昭和3年10月1日海軍省海軍大尉から,平成4年3月31日甲南女子大学文学部教員までの経歴.
寄物陳思(地球を考える5), 雑誌の発行日による., 1971-05-01
『放送朝日』,第204号, 1971年.特集,パノラマ日本・日本人.標題内容のページ番号は, p.9-p.39.「地球を考える5」の記載の隣に,「現代における哲学の役割」の手書きあり.
山城と国家論, 雑誌の発行日による., 1978-04-20
『本の窓』,第1巻第1号, 1978年.標題内容は, p.14-p.15に掲載.
岡崎の六年間, 発行日による., 1970-07-15
『たつき』,第39号.標題内容のページ番号は, p.14-p.15.本文中の見出しは,「マルクス主義」,「相対的な真実」,「深層文化論」.
[「岩波講座 哲学全十八巻」予約申込書付き紹介冊子], 1ページ目の記載による.
岩波講座哲学全十八巻についての収録内容と,編者についての紹介冊子.
座談会:新らしいナショナリズム, 上限は表紙の手書き記載による.下限は雑誌の発行日による., 1964-07-13/1964-08-20.
『日本人』,通巻9号, 1964年.特集,新らしいナショナリズム.標題の座談会は, p.16-p.39に掲載.
[新聞記事]多元主義の思考「思想の科学」講演会から, 新聞の発行日による., 1962-05-29
『熊本日日新聞』,昭和37年(1962年)5月29日に掲載.記事の内容は,昭和37年5月25日に開催された「講演要旨」と「座談会の論点」.講演要旨中に,鶴見俊輔「明日の日本の思想と転向」,上山春平「思想の科学の課題」が掲載.
[新聞記事]深層文化論に集中, 新聞発行日による., 1975-10-27
新聞記事の「近況」の中に、上山春平の顔写真が掲載され,上山春平「深層文化論に集中」の記事がある.同じ「近況」の中に,尾崎秀樹「改築すすんで本の山」の記事がある.
[新聞記事]私の読書遍歴8・15の前と後, 新聞発行日による., 1960-08-15
『日本読書新聞』,第1066号, 1960年.「私の読書遍歴8・15の前と後」の記事の内容は以下のとおり.(1)針生一郎「右翼の潮流: "剣"と町々の"無節操"な灯の波と」.(2)吉本隆明「胸くそ悪く 古典が唯一の場だった時を経て戦争の自己批判へ」.(3)上山春平「空海の曼ダ羅:潜水艦で読みふけった"根の国"の神々の物語」.(4)村上兵衛「際立った断層 軍人だった私は二十一歳で初めて大人の本に移った」.
[新聞記事]記紀 神話と上山説, 新聞の発行日による., 1975-07-05
『高知新聞』, 11面.本文中の見出しは,「人間論展開の面白さ:大胆な仮説 学界が注目」.
[新聞記事]記紀神話と上山説, 上限,下限共に資料中の手書き記載による., 1975-07-08/1975-07-11.
2点の上山春平の記事の内容は以下のとおり.(1)記事の見出しは,「記紀神話と上山説」,内容をまとめた見出しは,「人間魚雷内で得た着想 人間論展開の面白さ」(『中部経済新聞』,昭和50年に掲載).(2)記事の見出しは,「記紀神話と上山説」,内容をまとめた見出しは,「人間論展開の面白さ30年前出撃中に得た着想」(『中国新聞』に掲載).
日本の古典 親鸞・道元・日蓮 月報20, 表紙の手書き記載による., 1973-04
内容の「訳者のことば」の中身は以下のとおり.(1)最澄の文章の特徴 梅原猛.(2)空海に親しむ 上山春平.(3)親鸞の現代語訳 野間宏.(4)困難な道元の翻訳 森本和夫.(5)苦労した文体の決定 真継伸彦.(6)日蓮の真意の難解さ 木下順二.(7)なつかしい一遍さん 橋本峰雄.上記の後に,「執筆者紹介」,「挿画について 三宅正太郎」,「次回配本20歌舞伎・浄瑠璃集」の予告.
桑原武夫全集 付録月報No.7, 表紙の記載による., 1969-03
内容は以下のとおり.(1)私の見た桑原先生 中野清見.(2)隊長桑はん 岩坪五郎.(3)恩禽獣に及ぶ 上山春平.(4)桑原さんと人文科学研究所(7) 河野健二.(5)編集室から.
桑原武夫全集 付録月報No.7, 表紙の記載による., 1969-03
内容は以下のとおり.(1)私の見た桑原先生 中野清見.(2)隊長桑はん 岩坪五郎.(3)恩禽獣に及ぶ 上山春平.(4)桑原さんと人文科学研究所(7) 河野健二.(5)編集室から.
歴史と私, 雑誌の発行日による., 1978-01-01
『月刊歴史手帖1』, 6巻1号, 1978年.特集,濃尾地方の武士団.上山春平「歴史と私」は,目次と同ページの上部に掲載.
田中美知太郎全集第12巻 月報, 表紙の記載による., 1971-02
内容は以下のとおり.(1)初心の姿 上山春平.(2)田中先生のこと 梅原猛.(3)二つの涙 和気史郎.(4)「論壇時評」について 山崎正和.
私はいかにして「台湾」を書いたか, 04-17.書簡の4枚目の記載による.
冊子表紙に,「「台湾」出版記念会の記念として配布」と記載.(書簡本文より)「上山先生 お忙しいご日程で,直接お目にかかることができず,甚だ残念でした.余り弘文堂へも行かなくなりましたが,先日久し振りに田村氏に会いましたら,彼が京都出張のときに先生にお会いしたそうで,また先生の「大東亜戦争…」を出版する予定だといっておりました.…」.
空海との出合い, 雑誌の発行日による., 1967-12-01
『思想の科学』,通巻109号No.69, 1967年.特集,日本の仏教.標題内容のページ番号は, p.10-p.19.
[竹内好宛上山春平書簡]
内容は,魯迅友の会の会報について.(書簡本文より)「竹内好様 ロジン友の会の会報ありがとうございました.私の文章をよみなおしてみて,何となくサクバクとした気持におそわれました.要するに,矢部孝之さん及び矢部さんに代表される思想態度に一矢を放ったにすぎないのですが,放ちおわった後に,なんとなく空虚な感じがのこるのです.…」.
筑紫申眞さんとの出会い, 16枚目の記載による., 1973-03-20
筑紫申眞逝去に伴い,上山春平が作成した回想録.
自伝資料, 1959-1992
1960・70年代の上山春平の書簡、回想録、自身についての新聞記事や寄稿雑誌等,計50件から構成される.
[複写物]18ヵ月…心の古里に, 新聞の発行日による., 1985-12-28
『紀伊民報』,第12755号.標題内容全てが複写されているものは3点.残り3点は標題内容の拡大複写1点を切断したもの.感熱紙1点に標題内容が薄く複写されている.
[複写物]ヒナタの倫理とカゲの倫理:竹内好氏への手紙, 15枚目の記載による., 1962-02-23
上山春平から竹内好への書簡の形を取っている.主な内容は,「思想の科学廃棄事件」について.(1枚目の文字の上から訂正線が引かれている箇所の後の本文より)「先だっては,『魯迅』二四・五・六号,ありがとうございました.『魯迅』の御礼の筆をとって,この度の『思想の科学』廃棄事件に筆が及び,論おわらぬうちに,雑用にとりまぎれて,そのままになっていました.失礼を,お許し下さい.こんどの事件に際しましては,色々とお骨折いただき,ありがとうございました.私は,こんどの事件が,言論の自由の侵害という面からだけ問題にされることには,抵抗を感じます.…」.
[複写物][上山春平宛王育徳書簡], 04-17. 4枚目の記載による.
王育徳『私はいかにして「台湾」を書いたか』を上山春平に送付した際、同封した書簡の複写物.(書簡本文より)「上山先生 お忙しいご日程で,直接お目にかかることができず,甚だ残念でした.余り弘文堂へも行かなくなりましたが,先日久し振りに田村氏に会いましたら,彼が京都出張のときに先生にお会いしたそうで,また先生の「大東亜戦争…」を出版する予定だといっておりました.…」.
[複写物]吉川菩薩の御来臨, [1970-03].キ右2-1-11の表紙による.
「吉川幸二郎全集第8巻月報 昭和45年3月」のp.4-p.7までの複写. 1枚目に,「吉川幸次郎全集 月報」の手書きあり.
[複写物]哲学と宗教
『高野山時報』の特別寄稿として掲載.ページ番号はp.36-p.39.
[複写物]国家と切り結ぶ, 新聞の発行日による., 1979-11-02
『読売新聞大阪版夕刊』,第9724号.上山春平「国家と切り結ぶ」と上山春平の顔写真は, 1面に掲載.
[複写物]岡崎の六年間
標題横に「愛知女子」の手書きあり.本文中の見出しは,「マルクス主義」,「相対的な真実」,「深層文化論」.
[複写物]歴史と私, 資料の手書き記載による., 1978-01
右半分に,「続群書類従完成会」の出版物の案内が掲載.左半分上部に,上山春平「歴史と私」,下部に「『歴史手帖』 六巻一号 目次」が掲載.
[複写物]田ノ岡きぬゑさんを想う 北山茂夫[ならびに]田ノ岡キヌエさまのこと 上山春平
内容は以下のとおり.(1)北山茂夫「田ノ岡きぬゑさんを想う」(ページ番号はp.83-p.84).(2)上山春平「田ノ岡キヌヱさまのこと」(ページ番号はp.84-p.85).
[複写物]田ノ岡きぬゑさんを想う 北山茂夫[ならびに]田ノ岡キヌヱさまのこと 上山春平, 表紙の記載による., 1971
内容は以下のとおり.(1)表紙に「田ノ岡キヌエ記念誌 一九七一年 田ノ岡宏編」の手書きあり.(2)北山茂夫「田ノ岡きぬゑさんを想う」(ページ番号はp.83-p.84).(3)上山春平「田ノ岡キヌヱさまのこと」(ページ番号はp.84-p.85).
[複写物]田ノ岡きぬゑさんを想う 北山茂夫[ならびに]田ノ岡キヌヱさまのこと 上山春平, 3枚目の日時の記載による., 1971-12-07
7点の内容は以下のとおり.(1)表紙に「田ノ岡キヌヱ記念誌」の記載.(2)田ノ岡宏氏の前書き(ページ番号はp.3).(3)「田ノ岡キヌヱ葬儀の順序」(ページ番号はp.7).(4)北山茂夫「田ノ岡きぬゑさんを想う」(ページ番号はp.83-p.84).(5)上山春平「田ノ岡キヌヱさまのこと」(ページ番号はp.84-p.85).(6)白紙.
[複写物]私はいかにして「台湾」を書いたか
表紙に,「「台湾」出版記念会の記念として配布」と記載.ページ番号はp.1-p.13.
[複写物][竹内好宛上山春平書簡]
「魯迅友の会会報」の謝辞から始まり,魯迅の思想について言及した書簡.(書簡本文より)「竹内好様 ロジン友の会の会報ありがとうございました.私の文章をよみなおしてみて,何となくサクバクとした気持におそわれました.要するに,矢部孝之さん及び矢部さんに代表される思想態度に一矢を放ったにすぎないのですが,放ちおわった後に,なんとなく空虚な感じがのこるのです.…」.
[複写物]第二次世界大戦終末期の体験:最後の「回天」特攻隊, 1枚目の記載による., 1980-04
標題の内容の1枚目に,「第七巻月報昭和55年4月」の記載.ページ番号はp.1-p.3.便箋は,上山春平宛第二アートセンター中山良昭書簡.内容は,「図説昭和の歴史」の原稿に対する謝辞.
[複写物]筑紫申眞さんとの出会い, 表紙の手書き記載, 8点目の記載による., 1973-03-20
筑紫申眞逝去に伴い,上山春平が作成した回想録.
[複写物]魯迅 友の会会報 第十六号, 表紙の記載による., 1959-06
1枚目に,「雑記 竹内好」(ページ番号は,上部p.60,下部p.8),「魯迅における遺民精神:懇談会報告」(ページ番号は,上部p.53,下部p.1). 2枚目に,「屈辱とプライド:魯迅は日本に育たない」(ページ番号は,上部p.58-p.59,下部p.6-p.7).
魯迅 友の会会報第十六号, 表紙の記載による., 1959-06
内容は以下のとおり.(1)魯迅における遺民精神:懇談会報告.(2)金子二郎「感想」.(3)上山春平「屈辱とプライド:魯迅は日本に育たない」.(4)竹内好「雑記」.