1955年カラコラム探検::写真
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HK80-12, 1955年8月27日、28日のいずれかに撮影されたものである.
大理石を組み合わせて象嵌細工を彫り込んだジャハンギールの柩。白地に赤や緑で草花の装飾が施されており、コーランにある九十九の神の名前が美しい飾り文字で書かれている。
HK80-13, 1955年8月27日、28日のいずれかに撮影されたものである.
ジャハンギール廟内の大理石で細工された床か。
HK80-14, 1955年8月27日、28日のいずれかに撮影されたものである.
HK80-13に同じ。
HK80-15, 1955年8月27日、28日のいずれかに撮影されたものである.
水煙草を吸う老人。
HK80-16, 1955年8月27日、28日のいずれかに撮影されたものである.
HK80-15に同じ。
HK80-17, 1955年8月27日、28日のいずれかに撮影されたものである.
ジャハンギール廟の中庭か。
HK80-18, 1955年8月27日、28日のいずれかに撮影されたものである.
バドシャヒ・モスク(Badshahi Mosque)。ムガール第六代皇帝アウラングゼーブ(Aurangzeb)が1673年に建設。右の建物がモスクの入口で、左の建物がモスクの内部。
HK80-19, 1955年8月27日、28日のいずれかに撮影されたものである.
ラホール・フォート(Lahore Fort)。1566年にアクバル皇帝とその子孫が建設する。現在は世界遺産となっている。
HK80-20, 1955年8月27日、28日のいずれかに撮影されたものである.
シャーリマール庭園(Shalamar Gardens)か。シャー・ジャハーン王が設計。現在は世界遺産となっている。
HK80-21, 1955年8月27日、28日のいずれかに撮影されたものである.
シャーリマール庭園の噴水池。
HK80-22, 1955年8月27日、28日のいずれかに撮影されたものである.
HK80-21に同じ。
HK80-23, 1955年8月27日、28日のいずれかに撮影されたものである.
ラホール市内の見物。
HK80-24, 1955年8月27日、28日のいずれかに撮影されたものである.
1955年KUSE藤田和夫隊員撮影による写真.先発隊期から探検終了までの約5か月の間に撮影したものであり,探検隊の活動,カラコラム地域の民俗といった記録写真,そして藤田の地形・地質学的関心のもとに撮影された対象からなる写真資料群である.1カット毎に付されたネガカット番号とルートマップ記載情報とがひもづけられることで,撮影場所,撮影方向が厳密に特定できる.
HK81-01, 1955年8月28日に撮影されたものであろう.
1955年KUSE藤田和夫隊員撮影による写真.先発隊期から探検終了までの約5か月の間に撮影したものであり,探検隊の活動,カラコラム地域の民俗といった記録写真,そして藤田の地形・地質学的関心のもとに撮影された対象からなる写真資料群である.1カット毎に付されたネガカット番号とルートマップ記載情報とがひもづけられることで,撮影場所,撮影方向が厳密に特定できる.
HK81-02, 1955年
イナムの家庭を訪問。後列左端:松下進隊員後列左から二番目:今西錦司支隊長後列右から二番目:イナム後列右から三番目:中尾佐助隊員カメラマン:藤田和夫隊員
HK81-03, 1955年
ラホール(Lahore)からカラチ(Karachi)に向かう車窓より撮影。半日がかりで切符を手に入れ、カラチ行き特急の二等車に乗り込む。メンバーは今西錦司支隊長、中尾佐助隊員、藤田和夫隊員、松下進隊員の計四人。
HK81-04-1, 1955年
HK81-04-2, 1955年
HK81-05, 1955年
HK81-06, 1955年
HK81-07, 1955年
HK81-08, 1955年
HK81-09, 1955年
HK81-10, 1955年
HK81-11, 1955年
HK81-12, 1955年
HK81-13, 1955年
1955年KUSE藤田和夫隊員撮影による写真.先発隊期から探検終了までの約5か月の間に撮影したものであり,探検隊の活動,カラコラム地域の民俗といった記録写真,そして藤田の地形・地質学的関心のもとに撮影された対象からなる写真資料群である.1カット毎に付されたネガカット番号とルートマップ記載情報とがひもづけられることで,撮影場所,撮影方向が厳密に特定できる.
HK81-14, 1955年
HK81-15, 1955年
HK81-16, 1955年
HK81-17, 1955年
HK82-01, 1955年9月2日に撮影されたものであろう.
1955年KUSE藤田和夫隊員撮影による写真.先発隊期から探検終了までの約5か月の間に撮影したものであり,探検隊の活動,カラコラム地域の民俗といった記録写真,そして藤田の地形・地質学的関心のもとに撮影された対象からなる写真資料群である.1カット毎に付されたネガカット番号とルートマップ記載情報とがひもづけられることで,撮影場所,撮影方向が厳密に特定できる.
HK82-02, 1955年9月2日に撮影されたものであろう.
1955年KUSE藤田和夫隊員撮影による写真.先発隊期から探検終了までの約5か月の間に撮影したものであり,探検隊の活動,カラコラム地域の民俗といった記録写真,そして藤田の地形・地質学的関心のもとに撮影された対象からなる写真資料群である.1カット毎に付されたネガカット番号とルートマップ記載情報とがひもづけられることで,撮影場所,撮影方向が厳密に特定できる.
HK82-03, 1955年9月2日に撮影されたものであろう.
1955年KUSE藤田和夫隊員撮影による写真.先発隊期から探検終了までの約5か月の間に撮影したものであり,探検隊の活動,カラコラム地域の民俗といった記録写真,そして藤田の地形・地質学的関心のもとに撮影された対象からなる写真資料群である.1カット毎に付されたネガカット番号とルートマップ記載情報とがひもづけられることで,撮影場所,撮影方向が厳密に特定できる.
HK82-04, 1955年9月2日撮影ヵ.
1955年KUSE藤田和夫隊員撮影による写真.先発隊期から探検終了までの約5か月の間に撮影したものであり,探検隊の活動,カラコラム地域の民俗といった記録写真,そして藤田の地形・地質学的関心のもとに撮影された対象からなる写真資料群である.1カット毎に付されたネガカット番号とルートマップ記載情報とがひもづけられることで,撮影場所,撮影方向が厳密に特定できる.
HK82-05, 1955年
HK82-06, 1955年
HK82-07, 1955年
HK82-08, 1955年
HK82-11, 1955年
HK82-12, 1955年
HK82-13, 1955年
HK82-15, 1955年
18時にBOACでカラチ空港を飛び立ち、アラスカ経由(朝日新聞のレセプション)で羽田へ向かう。後発組の今西錦司支隊長、中尾佐助隊員、藤田和夫隊員、松下進隊員以外は前日の9月1日にエア・フランス機で帰国。