今西, 錦司, 1902-1992
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[316] 近衛ロンド 第316回 '73.9.26(水) / 「自由人の発言」 今西錦司 [録音内容はタイトルと相違.], [昭和48年(1973)]'73.9.26(水).
近衛ロンド第316回例会, タイトル「自由人の発言」(今西錦司). 本資料には, 標記の講演は録音されておらず, 録音に失敗したか, 再生使用後に別の(近衛ロンド録音未使用)テープをケースへ収納してしまったか, いずれかと推測される. 現在の本資料の録音内容は, いくつかの放送番組断片であり, 「プリンの人生相談」から始まり, 何かの協会運営にあたっている者の説明, 逆転再生状態のニュース(1973年春), 11時の朝日新聞ニュース, 等などからなる. テープ提供元は, 朝日放送ラジオと推測できる. 冒頭の「プリン」とは, 横山プリンのこと.
1931年 AACK創設 富士山で極地法登山, [昭和6年(1931) 5月24日, アカデミッシェルアルペンクルブ・ツーキョウト(京都学士山岳会)創設.]., [1931-05-24/1932-01-08.]
1932年 樺太学術探検隊, [1932年7月~9月.]
樺太東北山脈未踏地域の踏査と登山を目的とした遠征に関する資料.
1932年7月~9月. 軍事機密として地図入手不可能な南樺太ロシア国境近くの東北山脈を探検的興味に惹かれて訪れた. 鉄道駅シスカ(敷香、現在のポロナイスク)発、東北山脈に入り北上、北緯50度のロシア国境沿いににしへ向かう. 高度1000mほどと思われる米倉山と沖見山に登ったが、頂上には期待に反して一等三角点があった. 約1300mの最高峰登頂を試みるつもりだったが、国境線がどのように走っているか分からず諦めた. アブや蚊におおいに悩まされた. 熊は南アルプス案内人竹澤長衛も撃ち取るのに失敗した.
[関係者名] 今西錦司(隊長), 西堀栄三郎, 高橋健治, 四手井綱彦, 田中喜左衛門, 竹澤長衛, 京都学士山岳会.
1934年 白頭山, [1934年12月~35年1月.]
1938年 モンゴル行, [(1)1938年7月25日〜8月21日. (2)1938年8月16日〜10月10日.]
1938年 京都探検地理学会, [1938年12月26日〜1943年, 戦後すぐに解散.], [1938-12-26/1943-03-21.]
1941年 ポナペ島学術調査, [昭和16年(1941) 7月14日〜10月8日. ]
ワハーン通廊地域予備調査とノシャック峰登路探索を目的とした遠征に関する資料.
1941年7月~10月 京都探検地理学会が将来のニューギニア探検にそなえて熱帯における調査の足ならしと学生会員の訓練のため, ミクロネシア, ポナペ島に調査隊を送った. 7月14日横浜発のパラオ丸に乗船, 途中パラオ, トラック両港に寄り, 7月29日ポナペ港に着いた. 同船はクサイ島, ヤルート環礁など訪れた後8月9日ふたたびポナペに戻り, 浅井ら4人は次の日横浜へ帰港の途についたパラオ丸で故国へ向かった. 今西, 森下, 中尾, 吉良, 梅棹と川喜田の6人は9月24日までポナペで調査を続け, 10月8日横浜に帰港した.
[関係者名] 今西錦司(隊長 理学部講師), 森下正明(農学部), 浅井辰郎(建国大学), 池田敏夫(法学部学生), 秋山忠義(法学部学生), 松森富夫(経済学部学生), 中尾佐助(農学部学生), 吉良龍夫(農学部学生), 梅棹忠夫(理学部学生), 川喜田二郎(文学部学生), 京都探検地理学会.
1942年 北部大興安嶺探検, [1942年5月.]
1944年 西北研究所 冬のモンゴル行, [1944年9月〜1945年2月.]
1948年 自然史学会, [1948年2月(自然史学会例会初回)〜1952年10月(例会第53回).], [1948-02-01/1952-10-31.]
自然史学会に関する資料.
大陸から引き揚げてきた今西錦司、藤枝 晃、中尾佐助、梅棹忠夫らが西北研究所などでの学術調査の成果を発表するために、「自然科学と人文科学との接触領域における具体的研究の促進」をうたって、自然史学会を創設した. 最初の例会を1948年2月、東方文化研究所(翌49年4月京大人文科学研究所に統合)でもち、中尾(当時、木原生物学研究所)が「ユウマイ文化圏」を発表. 会則は、その例会に集まった者であるとした. 第2囘は今西(京都大学理学部)の「遊牧論」. 2年後に学会誌として『自然と文化』(NATURA et CULTURA)を刊行する際に、京大農学部教授の並河功が会長に就任した. 例会は1952年10月の第53回まで継続開催された.
[関係者名] 中尾佐助, 今西錦司, 藤枝晃, 梅棹忠夫, 並河功.
1951年 京都大学生物誌研究会, [1951年秋発足.]
1952年 日本山岳会マナスル踏査隊, [1952年秋〜12月.]
マナスル山域踏査と登路偵察を目的とした遠征に関する資料.
日本山岳会はAACKからマナスル登山許可証の委譲を受けてヒマラヤ委員会を発足させ、マナスル登山に取り組んだ。1953年本隊のために前年秋に偵察隊が派遣されることになり、今西錦司のもとに隊員が選任された。先遣隊は9月なかばに首都カトマンズを発し、マルシャンディ河渓谷をさかのぼり、アンナプルナⅣ峰北面とマナスルの西面を探った. ついでラルキャ峠を越えて東面ブリ・ガンダキ河渓谷にまわる. サマ部落に流れ下るマナスル氷河を試登して、登頂はこのルートにより可能との判断を得て、12月なかばにカトマンズに帰着した.
[関係者名] 今西錦司(隊長), 田口二郎, 高木正孝, 中尾佐助, 林 一彦, 竹節作太(毎日新聞), 日本山岳会ヒマラヤ委員会.
1955年 京都大学カラコルム・ヒンズークシ学術調査隊, 1955年4月〜11月.
ヒンズークシからカスピ海沿岸までの広域調査を目的とした遠征に関する資料.
[関係者名] 木原均(隊長. 植物班長)農学部教授. 北村四郎(植物班)理学部教授. 山下孝介(植物班)教養学部教授. 岩村忍(人類班長)人文研教授. 山崎忠(人類班)文学部講師. 梅棹忠夫(人類班)人文研講師. 岡崎敬(人類班)人文研講師. 今西 錦司(支隊長)人文研講師. 松下進(地質班長)理学部教授. 藤田和夫(地質班)理学部講師. 中尾佐助(植物班) 農学部講師. 原田直彦(医療)医学部講師.
F. E. Clementsーその学説の批判, 表紙の記載による., 1950
自然史学会『自然と文化』, p.1-p.38.
Japanese Theorist, 発行日の記載による., 1980-01-10
c著,『Look Japan』, vol.25, no.286, p.6-p.7.
Kinji Imanishi and species identity, 表紙の記載による., 1983
Atuhiro SIBATANI,『Rivista di Biologia』, Vol.76, 1983 n.1, p.25-p.42.
[Nature関連資料], 資料の記載による.の., 1984-12-30
(1)「”Nature”に関する」複写. “Anti-darwinian theory in Japan”, Nature, vol.317, 1985.10.17, p.587-p.589; Atuhiro Sibatani, “Evolution with a Japanese slant”, reprinted from Nature, vol.320, 1986.4.10, p.492ほか.(2)上山春平宛今西錦司差出の封筒.
ONE LAYER, ONE LIFE FORM, COMMUNITIES, 資料のペン書き記載による., 1959-04-28
内容は,人間家族の成立過程を図式化したもの.「A1群れの崩壊→ B1家族の成立→A2 bandの成立→B2家族制の完成→A3 clan, tribeの成立」.
SOCIAL BEHAVIOR IN JAPANESE MONKEYS, MACACA FUSCATA, 表紙の記載による., 1957-06
Reprinted from PSYCHOLOGIA AN INTERNATIONAL JOURNAL OF PSYCHOLOGY IN THE ORIENT, Vol.1, No.1, June, 1957, p.47-p.54.
シンポジウム案内:動物社会における個体の問題, 表紙の記載による., 1958
表紙に「企画:今西錦司;世話:大阪市立大学動物生態グループ」の記載.
ニホンザルの行動とニ因子学習説, 資料の記載による.の., 1957-08
『民族学研究』, 21巻3号, p.65-p.69.「謹呈 上山様」の手書き記載あり.
リール中07,今西先生 知床の山を行く, 1980
「今西先生 知床の山を行く」「June 19-23 1980 吉村健次郎 撮」 <映像内容>(16:00) 前半は,知床半島での調査の様子(1983年に報告されている遠音別のシレトコスミレ調査の風景か?).後半は,1980年6月,今西錦司ほかと知床の山を登山した映像記録. ( 19日:羅臼岳,20日:硫黄山,22日:斜里山,23日:藻琴山)
わが学問について, 表紙の記載による., 1984
今西錦司著,三高同窓会『会報』, 59.
[上山春平宛粕谷一希書簡], 原稿記載より., 1980-01-19
(書簡本文より)「前略,昨年は「哲学の旅から」御恵贈賜り御礼状を差し上げる機会を逸したこと,お詫び申し上げます.いずれにもなつかしい論説ばかりで,永年にわたって伺っていた上山さんの肉声を聞く想いです.いつか機会があれば, “上山春平”□のよき素材をしたい思います.…」.
人間家族の起源:プライマトロジーの立場から, 資料の記載による., 1961-06
『民族学研究』, 25巻3号, p.119-138.
人類共同体の検索表,人類共同体分類概念図, 資料の記載による., 1959-08-06
「人類共同体の検索表」と「人類共同体分類概念図」が記載されている.
今西リポート, 資料の記載による., 1986-10
内容は以下のとおり.(1)『アニマ』, 1986年, 10月号, No.166の目次及び「立花隆のサル学レポート・サルに学ぶヒト (1)今西錦司」(p.50-p.56)の複写.(2)今西錦司宛上山春平書簡.(本文より)「冠省 アニマ10月号の立花隆との対談,大へん面白く読ませていただきました.立花さんがよい話し相手であったせいか,今西さんが大変調子がよかったせいか,これまでやってこられたことを,簡略に,しかも大きくつつみこむような話ぶりで,いちばん肝腎のところがしっかりとおさえられていて,大変,満足いたしました.…」.
今西錦司, 1937-1986
今西錦司氏に関する冊子,抜刷,原稿,新聞記事等,計44件から構成される.
[今西錦司についての番組台本]
「項目」,「映像」,「内容」,「時間」の項目がある台本.
今西錦司の世界, 資料の記載による., 1977-10
『週刊文春』, 19巻43号, p.118-p.121,「読書の秋特集」の記事.
[今西錦司,上山春平対談関連資料]
(1)新聞は,今西錦司氏と上山春平氏の対談記事(『毎日新聞』, 1980.01.01).(2)ホールステッド氏宛上山春平書簡.(3)上山春平,川喜田二郎「今西錦司・方法序説」,『諸君!』,第9巻9号, 1979.9, p.148-p.161.(4)座談会(今西錦司,上山春平,吉良竜夫)「自然と人間に関する学問の課題」,別冊『潮』,秋季号,通巻19号, 1970.10, p.61-p.74.(5)座談会(今西錦司,上山春平,吉良竜夫)「自然と人間に関する学問の課題」,「「生態学」に関する主要参考文献」,自然読本『生態学』, 1980.11, p.227-p.249.ほか.
[今西錦司全集 案内冊子]
講談社版,全10巻の案内.第5巻と第10巻の解題は上山春平著.新聞記事は,「今西学;その思想と現代的意義,川喜田二郎」(「1974.09.16,ヨミウリ」と手書きあり).
[今西錦司全集 案内冊子]
講談社版,全10巻の案内.第5巻と第10巻の解題は上山春平著.
今西錦司「自然学の提唱」のコメント, 資料の記載による., 1983-06-15
手書きの草稿複写.(本文より)「『老子』に,「道は一を生じ,一は二を生じ,二は三を生じ,三は万物を生ず」ということばがある.今西さんの文章をよみおえて,ふと,このことばを思いだした.今西さんの学問における「一」は,『生物の世界』である.「二」は,『生物社会の論理』と『人間以前の社会』である.…」.
[今西錦司関係新聞記事と雑誌抜粋], 新聞の発行日による., 1984-01-09/1984-02-06.
内容は以下のとおり.(1)「定義のない悟りの世界;現実を無視している未来論」(連載インタビュー21世紀宗教は…)(『夕刊読売新聞』1984.2.6).(2)「天動説の進化論(上),(下)」(『毎日新聞』1984.1.9, 1984.1.10).(3)吉良竜夫「山と探検と京都大学」(p.304-p.312).
[今西錦司関係新聞記事群]
記事見出しは以下のとおり.「今西錦司さん死去」(『毎日新聞』, 1992.6.16, 1面,「今西錦司さん 自然に習うた学問」(31面),「共存説いた「自然学」」(『朝日新聞』, 1992.6.16, 31面),ほか,『読売新聞』, 1992.6.16, 31面, 1面,『朝日新聞』, 1992.6.16, 1面.
[今西錦司関係新聞記事群]
記事見出しは以下のとおり.(1)私の世界(『夕刊読売新聞』, 1982.6.20).(2)柴谷篤弘「今西理論と構造主義:天動説の進化論」にふれて(上)」(『毎日新聞』, 1984.2.7).(3)柴谷篤弘「今西理論と構造主義:天動説の進化論」にふれて(下)」(『毎日新聞』, 1984.2.8).
[公開講演会プログラムと手書きメモ]
文部省特定研究「生物の社会構造」公開講演会のプログラム.
[公開講演会「生物の適応戦略と社会構造」案内書], 06-24.表紙の記載による.
主催:文部省特定研究「生物の社会構造」総括班,京都大学理学部生物物理. 3講演のうちの1つは,上山春平「生物社会学の世界」.
[封筒]
今西錦司氏に関する冊子,抜刷,原稿,新聞記事等,計44件から構成される.
[封筒], 表紙の記載による.
今西錦司氏に関する冊子,抜刷,原稿,新聞記事等,計44件から構成される.
[新聞記事]特集 今西錦司, 刊行日による., 1986-01-01
上山春平宛,今西錦司差出の封筒. 1986.1.12の消印.表紙に「乞御笑覧」の手書きあり.封筒の中身は,『流通ケイザイ』, 1986.1.1,第410号,流通経済新聞社発行.1面に「特集 今西錦司, 1986年 寅歳84翁」の見出しと「今西錦司略年譜」が記載されている.
[新聞記事]科学理論として見直される『今西進化論』, 資料の手書き記載による., 1992-08-27
『毎日新聞』, 1992.8.27掲載.小見出しは,「半世紀経て「すみわけ」実証,影響受けた“発がん仮説”も」.
生物の世界, 発行日による., 1975-05-28
今西錦司著,講談社文庫.
生物の社会構造 ニュース, 上限は, No.1の表紙による.下限は, No.2の表紙による., 1983-05/1983-09.
文部省特定研究「生物の社会構造」ニュース, vol.1, vol.2(総括班事務局編集).
生物社会学の世界
内容は以下のとおり. I.一元的学問観(普遍学の視点). II.多元的学問観. III.生物学の世界.「Heuri-Louis Bergson: L'Évolution créatrice, 1907.(ベルクソン 創造的進化 岩波文庫訳).
生物社会学の世界, 資料の記載による., 1983-09
上山春平著.「岩波.「科学」1983.9」の手書きあり. vol.53, no.9, p.567-p.570.
追加の絞り込み:
- 主題
- 5:研究資料(研究者別)Research materials by researcher,1906–2001::今西錦司 Kinji IMANISHI,1937–1986 45
- 1941年ポナペ島学術調査 2
- 1942年北部大興安嶺探検 2
- 1944年西北研究所冬のモンゴル行 2
- 1948年自然史学会 2
- 1951年京都大学生物誌研究会 2
- 1952年日本山岳会マナスル踏査隊 2
- 1955年京都大学カラコルム・ヒンズークシ学術調査隊 2
- 3:研究会Seminar,1953–1981::人類学::[レジメと議事録] 2
- カラコラム 2
- 16mm映画フィルム資料 16mm films 1
- 1931年AACK創設富士山で極地法登山 1
- 1932年樺太学術探検隊 1
- 1934年白頭山 1
- 1938年モンゴル行 1
- 1938年京都探検地理学会 1
- 1940年冬期樺太踏査行 1
- 1940年白頭山・待花江水源 1
- 1940年遠征における空地連絡試験 1
- 1941年ポナペ島学術調査::画像 1
- 1945年京都大学山岳部創設 1
- 1952年日本山岳会マナスル踏査隊::文書類 1
- 1952年西堀栄三郎のインド・ネパール訪問 1
- 1953年AACKアンナプルナ遠征隊 1
- 1953年AACKアンナプルナ遠征隊::文書類 1
- 1953年日本山岳会マナスル登山隊 1
- 1955年カラコラム探検::ルートマップ 1
- 1955年カラコラム探検::写真 1
- 1955年カラコラム探検::探検日誌 1
- 1955年京都大学カラコルム・ヒンズークシ学術調査隊::文書類 1
- 1956年ヒンズークシ探検::ルートマップ 1
- 1956年ヒンズークシ探検::写真::カラースライド 1
- 1956年ヒンズークシ探検::写真::モノクロネガ 1
- 1956年京都大学探検部の創設 1
- 1956年京都大学探検部ヒンズークシ学術調査隊 1
- 1956年南極観測はじまる 1
- 1956年日本山岳会マナスル登山隊 1
- 1957年京都大学探検部スワート・ヒマラヤ学術調査隊 1
- 1957年京都大学探検部スワート・ヒマラヤ学術調査隊::文書類 1
- 1957年東南アジア学術調査はじまる 1
- 1958年 AACKチョゴリザ遠征隊 1
- 1958年 AACKチョゴリザ遠征隊::文書類 1
- 1958年 AACKチョゴリザ遠征隊::画像 1
- 1958年中尾佐助のブータン初入国 1
- 1958年西北ネパール学術調査隊 1
- 1960年AACKノシャック遠征隊 1
- 1960年AACKノシャック遠征隊::動画・音声 1
- 1960年AACKノシャック遠征隊::文書類 1
- 1960年AACKノシャック遠征隊::画像 1
- 1961-62年日本・パキスタン合同サルトロ・カンリ遠征登山隊 1
- 1961-62年日本・パキスタン合同サルトロ・カンリ遠征登山隊::文書類 1
- 1961-62年日本・パキスタン合同サルトロ・カンリ遠征登山隊::画像 1
- 1961年カカボ・ラジ登山探検計画 1
- 1962年京大山岳部パンジャブヒマラヤ遠征隊 1
- 1962年京大山岳部パンジャブヒマラヤ遠征隊::文書類 1
- 1963年京都大学西イリアン学術探検予備踏査隊 1
- 1964年カンチェンジュンガ・ウエスト登山許可取得交渉 1
- 1964年カンチェンジュンガ・ウエスト登山許可取得交渉::文書類 1
- 1964年京大山岳部ネパールヒマラヤ遠征隊 1
- 1964年京大山岳部ネパールヒマラヤ遠征隊::文書類 1
- 1964年京大山岳部ネパールヒマラヤ遠征隊::画像 1
- 1965年 泊山岳会中部ネパール踏査隊 1
- 1968年1967年度京都大学ブータンヒマラヤ遠征隊 1
- 1968年1967年度京都大学ブータンヒマラヤ遠征隊::文書類 1
- 1968年1968年京大探検部アンデス学術調査隊 1
- 1969年京都大学ブータン学術調査隊 1
- 1969年日本山岳会エベレスト第2次偵察隊 1
- 1970年日本山岳会エベレスト登山隊 1
- 1973年 Glaciological Expedition to Nepal(GEN) 1
- 1973年京都大学中南米栽培植物調査隊 1
- 1973年京都大学学士山岳会ヤルン・カン遠征隊 1
- 1974年ネパール・ヒマラヤ氷河学術調査隊 1
- 1974年京都大学山岳部カラコルム遠征隊(K12遠征隊) 1
- 1975年日本山岳会東海支部カラコルム登山隊 1
- 1976年ネパール・ヒマラヤ氷河学術調査隊 1
- 1977年京都大学学士山岳会ランタン・リ予備踏査隊 1
- 1978年ネパール・ヒマラヤ氷河学術調査隊 1
- 1979年 GEN(Glaciological Expedition in Nepal) 1
- 1979年日本山岳会チョモランマ偵察隊 1
- 1980年ネパールヒマラヤトレッキングチーム 1
- 1980年日本山岳会チョモランマ登山隊 1
- 1981年ネパールヒマラヤ氷河学術調査隊 1
- 1981年京都大学チベット高原学術登山隊偵察隊 1
- 1981年天山ボゴダ峰地区中日共同調査 1
- 1981年日本ブータン友好協会第一回親善旅行 1
- 1982年 Glaciological Expedition to Nepal(GEN) 1
- 1982年京都大学学士山岳会チベット高原学術登山隊 1
- 1982年京都大学山岳部インドヒマラヤ登山隊 1
- 1983年 パタゴニア地域の氷河における水文・気象学的研究 Glaciological Research Project in Patagonia(GRPP) 1
- 1985年GEN-LP 1
- 1985年 パタゴニア地域の氷河における水文・気象学的研究 Glaciological Research Project in Patagonia(GRPP) 1
- 1985年京都大学ブータンヒマラヤ学術登山隊 1
- 1985年日中友好納木那尼峰合同登山隊 1
- 1985年西崑崙氷河学術調査偵察隊 1
- 1987年西崑崙共同学術調査隊に参加 1
- 1989年日中友好梅里雪山科学隊 1
- 1989年日中合同梅里雪山学術登山隊(第一次隊) 1
- 1990年京都大学学士山岳会シシャパンマ医学学術登山隊 1
- 1991年日中合同梅里雪山学術登山隊(第二次隊) 1
- 5:研究資料(研究者別)Research materials by researcher,1906–2001::福永光司 Mitsuji FUKUNAGA,1949–1985 1