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その他

 サブシリーズ
資料番号: 64KAN / 6

範囲と内容

カンチェンジェンガ・ウエスト(後にヤルンカンと改名)の登山許可交渉に関する資料.

[1.1964年11月5日~12月4日]AACKは1965年プレモンスーン季のカンチ・ウェスト登攀許可を前年春に申請、同年8月ネパール政府から許可がおり、舟橋明賢隊長(日本ペイント勤務 39歳)以下8人の隊を送る準備を進めていたところ、10月これを取り消された。舟橋はカトマンズに飛びネパール政府と交渉、シッキムの外交権をもつインド政府とも交渉し、当時ガネッシュ登山隊隊長としてカトマンズに滞在していた樋口明生(防災研助教授 35歳)がこれに協力、舟橋帰国後ネパール政府と折衝を続けたが許可は得られず、計画は延期された。テント・ピーク初登頂。

[2.1967年3月~6月]AACKは1967年、許可取得交渉と登路偵察のため樋口明生と松田隆雄(農学部 22歳)をネパールに派遣した。4月~6月2人はパサン・プタールⅢらシェルパ3人とともにアプローチを踏査、ダーランからキャラヴァンをはじめ、タマール河渓谷の奥、シンパ・コーラ上流のヤルン氷河を登り、コーナー台地にBCを作った。カンチェンジュンガ西峰(以後ヤルン・カンと呼ぶ)西尾根にルートを求め、5月25日6040mまで試登した。6月18日カトマンズに戻り、ネパール外務省に折衝、陳情を繰り返しおこない、7月末に帰国した。

[3.1969年]1968年2月ネパールは64年末から続いていたヒマラヤ登山禁止令を解除すると発表、同年8月カンチェンジュンガ山群は除外されることがわかった。1969年会員今西壽雄がネパールを訪れた時に外務省と折衝、70年西堀栄三郎がネパール皇太子結婚式出席に際し、田附重夫(工学部助手 34歳)と松田隆雄(28歳)が同行して、許可交付に援助くれるようお願いした。田附はAACKがヤルン・カン登山の優先権を持つことを認めた文書を取得した。

[4.1970年10月]会員木村雅昭はニューデリーに滞在中カトマンズを訪れ、外務省、内務省、国防省当局者に会い、許可証交付が近いことを確認した。

[関係者名] 舟橋明賢, 樋口明生, 松田隆雄, 西堀栄三郎, 今西寿雄, 田附重夫, 木村雅昭.

日付

  • 作成: [1] 1964年11月5日~12月4日.
  • 作成: [2] 1967年3月~6月.
  • 作成: [3] 1969年.
  • 作成: [4] 1970年10月.

作成者

資料の言語

日本語 Japanese

利用条件

本コレクションは, 学術利用・教育研究利用の目的で利用できる.

分量(全体)

コレクション : 1346 件[レコード数]

物理的特徴

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«ARK(former)»

https://peek.rra.museum.kyoto-u.ac.jp/ark:/62587/ar40385.46296

リポジトリの詳細

つぎのリポジトリの一部: Kyoto University Research Resource Archive リポジトリ

連絡先:
(運営責任部局) 京都大学総合博物館 The Kyoto University Museum
左京区 吉田本町 Sakyo-ku Yoshida honmachi,
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