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京都大学学士山岳会

 団体

並列名

  • AACK
  • Kyoto Daigaku Gakushi Sangakukai
  • キョウト ダイガク ガクシ サンガクカイ

95 コレクションおよび/またはレコード 表示:

1931年 AACK創設 富士山で極地法登山, [昭和6年(1931) 5月24日, アカデミッシェルアルペンクルブ・ツーキョウト(京都学士山岳会)創設.]., [1931-05-24/1932-01-08.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 31EST
範囲と内容 AACK創設と富士山での極地法登山に関する資料. 1)ヒマラヤ登山をおこなうための山岳会アカデミッシェルアルペンクルブ・ツーキョウト(京都学士山岳会)は1931年5月24日創設された. クラブの設立発会式は京大楽友会館において開催され, 会長に京都帝大旅行部部長を務めていた郡場寛農学部教授が就任した. 郡場は以前から就任していた国の学術研究会議会員の資格で32年に欧州・中米・南米・北米の長期視察旅行に出張を命ぜられたため, 同年木原均が2代目会長に就いた。創立当初, 会員は京大旅行部, 三高山岳部を中心とする20数名であった. 2)設立後最初の山行として1931年12月26日~32年1月8日富士山大沢口で極地法登山の訓練をおこなった. 富士駅からトラックで上井手まで, そこから馬で荷物を運び, 大沢南岸近く高度約1450mに本拠のCⅠを建設, 頂上稜線のCⅤまで前進キャンプを作った. 支援隊, 登頂隊がそれぞれ荷揚げとルート工作を繰り返し, 頂上では4日間にわたる幕営をおこなった. 隊の運営方法, 装備品・食糧などを研究した....
日付: [昭和6年(1931) 5月24日, アカデミッシェルアルペンクルブ・ツーキョウト(京都学士山岳会)創設.].; [1931-05-24/1932-01-08.]

1932年 カブルー遠征計画, [1931/1932.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 32KEP
範囲と内容

AACK最初のヒマラヤ登山計画としてシッキムヒマラヤのカブルー山7338m登頂を目標とした計画に関する資料.

AACK最初のヒマラヤ登山計画としてシッキムヒマラヤのカブルー7338mを目標として1931年に計画された. 1929年カンチェンジュンガに果敢な登攀をくりひろげたドイツ遠征隊報告書には、登山記録の他に附録として経費・食料・装備・写真などの項目にも具体的な記載があり、総支出金額も自分たちの手のとどく範囲にあることがわかった. 伊藤愿はこの報告書を翻訳して出版している. 相当の高度があり接近も比較的容易な登山目標としてカブルーを選び、1932年プレモンスーン季に遠征隊を送る計画をたて準備を進めたが、満州事変の余波を受けてスポンサーがおりて、遠征計画は立ち消えになった.

日付: [1931/1932.]

1932年 樺太学術探検隊, [1932年7月~9月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 32KAR
範囲と内容

樺太東北山脈未踏地域の踏査と登山を目的とした遠征に関する資料.

1932年7月~9月. 軍事機密として地図入手不可能な南樺太ロシア国境近くの東北山脈を探検的興味に惹かれて訪れた. 鉄道駅シスカ(敷香、現在のポロナイスク)発、東北山脈に入り北上、北緯50度のロシア国境沿いににしへ向かう. 高度1000mほどと思われる米倉山と沖見山に登ったが、頂上には期待に反して一等三角点があった. 約1300mの最高峰登頂を試みるつもりだったが、国境線がどのように走っているか分からず諦めた. アブや蚊におおいに悩まされた. 熊は南アルプス案内人竹澤長衛も撃ち取るのに失敗した.

[関係者名] 今西錦司(隊長), 西堀栄三郎, 高橋健治, 四手井綱彦, 田中喜左衛門, 竹澤長衛, 京都学士山岳会.

日付: [1932年7月~9月.]

1934年 白頭山, [1934年12月~35年1月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 34HAK
範囲と内容 白頭山2744m厳冬期初登頂を目的とした遠征に関する資料. AACKと京都帝大旅行部合同で1934年12月~35年1月朝鮮半島最北部の白頭山2744mの厳冬期初登頂を目指した. 鉄道恵山線惠山鎮から自動車で100km奥の胞胎里に進み、12月29日同地を徒歩で出発した. 複数の偵察隊を出して前進ルートを確定しつつ、31日白頭本澤の高度1430mにベースキャンプを設営した. 1月4日、6日、7日にそれぞれ第Ⅰ~第Ⅲの突撃隊がBCを出発した. 7日に隊長ら第1突撃隊が最高峰の大正峰に登頂した. 10日天池畔宗徳寺野営地から層岩2737mに3人が登頂したほか、白岩2741mに2人登頂、大正峰に2人が第2登するなど、その他の隊もそれぞれの任務と目標をほぼ完全に成し遂げた. 15日BCを撤収、京城(ソウル)を経由して21日帰京した. [関係者名] 今西錦司(隊長 理学部講師), 西堀栄三郎(理学部講師), 高橋健治(理学部), 浅井東一(医学部), 宮崎武夫(大阪市), 奥 貞雄(法学士), 平吉 功(農学部),...
日付: [1934年12月~35年1月.]

1935年 中部大興安嶺, [1935年12月30日〜1936年2月1日.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 35GKA
範囲と内容

厳冬期中部大興安嶺踏査を目的とした遠征に関する資料.

京都帝大旅行部. 1935年12月30日満州(現在は中国東北地区)ハイラル駅につき、1月2日同地を、隊員8人、馬夫ら18人、2頭立て馬橇15台で出発した. 中部大興安嶺西面に発する伊敏河に沿って南進、厳寒のなか製材会社小屋に泊まり、あるいは携行した吊り下げ式天幕を張るなどして、源流域に近づく. BC、ACを設営した後、1936年1月18日中部大興安嶺最高峰、落葉松林におおわれた1835mの台地状の山に加藤、郡場、吉井の3人がスキーで登頂した. 1月23日ハイラル帰着. 2月1日神戸に帰還。

[関係者名] 加藤泰安(隊長 経済学部学生), 岩橋清次郎(経済学部学生), 児島勘次(理学部学生), 水川求禮雄(医学部学生), 郡場正之(理学部学生), 吉井良三(理学部学生), 磯村克次(工学部学生), 竹澤藤太郎(案内人), 京都帝大旅行部.

日付: [1935年12月30日〜1936年2月1日.]

1937年 K2計画, [1937年1月〜7月. ], [1937-01-15/1937-07-07.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 37K2P
範囲と内容

ヒマラヤK2登山を目的とした計画に関する資料.

AACKのヒマラヤ登山計画  前年から構想され、1937年に世界第2のK2に登山隊を送ることが発表された. 隊長木原均以下主要メンバーの氏名も新聞紙上に出、1936年入国許可申請し、同年夏伊藤愿をインドに派遣し事前折衝をする. 1937年1月15日付『毎日新聞』に「ヒマラヤK2目ざし隊長木原均博士以下の数氏愈よ入国許可を申請・・・」と紹介された. 許可を待つうち、1937年7月7日盧溝橋で日中戦争が勃発して、K2計画は取りやめになった.

日付: [1937年1月〜7月. ]; [1937-01-15/1937-07-07.]

1938年 モンゴル行, [(1)1938年7月25日〜8月21日. (2)1938年8月16日〜10月10日.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 38MGL
範囲と内容 察哈爾盟南部の調査を目的とした遠征に関する資料. (1)京都帝大旅行部学生班 1938年7月25日神戸港発、30日張家口着. 主として内蒙古察哈爾盟南部、包台營子、羊群廟、多倫などの地区において調査をした. 8月21日張家口歸着. (2)AACK学術調査隊. 38年8月16日神戸港発、天津、北京を経て21日張家口着. 内蒙古の東は熱河から北は錫林郭勒盟のダブス・ノール、西は烏蘭察布盟の百霊廟まで、2ヶ月にわたる自動車旅行で調査した. 9月30日張家口に集結、北京、天津を経て10月10日神戸港歸着. [関係者名] 鈴木 信(隊長 農学部), 西村永三(法学部), 加藤弘三(法学部), 堀内大海(法学部), 喜多豊治(経済学部), 周布光兼(経済学部), 金子 茂(理学部), 今西壽雄(農学部), 木原 均(隊長 農学部), 今西錦司(理学部講師), 浅井東一(理学部嘱託), 大井次三郎(農学部講師), 間直之介(理学部嘱託), 宮崎武夫(大阪市役所), 平吉 功(農学部助手), 加藤泰安(満洲航空), 釣田正哉(文 大学院),...
日付: [(1)1938年7月25日〜8月21日. (2)1938年8月16日〜10月10日.]

1938年 京都探検地理学会, [1938年12月26日〜1943年, 戦後すぐに解散.], [1938-12-26/1943-03-21.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 38TCG
範囲と内容 京都探検地理学会創設に関する資料. 1938年12月26日京都探検地理学会設立. 17人出席。会長に羽田亨総長を推戴し、木原均 今西錦司のほか小牧實繁、槇山次郎、徳田御稔など学内の著名な教授たち数人が幹事に就任した. 幹事長を務めた今西は「本会は創立当初から学術探検の実行を目的とするものであったから、精鋭主義をとり、会員は入会に際して可成り厳選すべしといふことに一致した」(「三ケ年の回顧」)と書いている. 1939年にイラン遠征計画、ニューギニア探検計画が樹てられたがともに時機にいたらず実現しなかったが、とりあえず行けるところとしてポナペ島調査隊が成立した. 例会を月に1回を開催することとし、第1回39.年1月31日から第21回43年3月21日まで継続して開催された. 『京都探検地理学会年報』が第1輯(1940.1.15発行)、第2輯(41.5.1同)第3輯(42.5.15同)、第4輯(43同)と刊行されている. 例会講師として大谷探検隊吉川小一郎、チベット学者青木文教と多田等観、チベット旅行談フォスコ・マライーニなどの名が残されている....
日付: [1938年12月26日〜1943年, 戦後すぐに解散.]; [1938-12-26/1943-03-21.]

1939年 北部小興安嶺, [1939年7月~8月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 39LKA
範囲と内容

北西小興安嶺横断を目的とした遠征に関する資料.

1939年7月~8月. 7月15日内地発、大連から鉄道でハルビン、チチハル経由メルゲンにつく. 馬車5台を雇い北西小興安嶺を北へ縦断、次いで東に折れ、黒龍江岸の湖通鎮に到達. 汽船で江を下った.

[関係者名] 周布光兼 (隊長), 比企 能, 池田敏夫, 中尾佐助, 藤本 武, 京都帝国大学旅行部.

日付: [1939年7月~8月.]

1940年 冬期樺太踏査行, [1939年12月~40年1月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 40KAR
範囲と内容

犬橇の性能試験 移動無線電話実験 個人の耐寒訓練を目的とした遠征に関する資料.

1939年12月~40年1月 京都帝大旅行部は将来の探検において必要になる犬橇の性能試験、酷寒地における移動無線電話実験、各個人の耐寒訓練を目標として樺太に向かった. 39年末に樺太敷香に集結、魚屋で犬橇研究家である須山と上原の2人、ギリヤーク、オロッコ各1人と橇犬39頭を雇う. 海岸平野上、多来加湖の凍結湖水面上、ツンドラ帯、森林内など異なる環境で犬橇と無電機の試験をおこなった. 「木の組合せを馴鹿の皮でくくり合わせた」原住民のノソ(そりのアイヌ語)、ボルト・ナットなど鉄製部品が多く重量も3倍ほどの和人のノソを試用したが、バランスと悪道における機動力は前者がはるかにまさった.

[関係者名] 藤本 武(隊長 理学部学生), 今西壽雄(農), 中尾佐助(農), 中村成三(法), 秋山忠義(法), 梅棹忠夫(三高生徒), 京都探検地理学会.

日付: [1939年12月~40年1月.]

1940年 白頭山・松花江水源, [1940年7月19日〜9月初め.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 40HAK
範囲と内容

松花江の源流をトレース地図の誤りを訂正する結果を得た遠征に関する資料.

1940年7月19日日本海沿岸の清津発、冠帽峰連山を越え摩天嶺山脈を越え、胞胎山群を越えて鴨緑江源流域に入った. 胞胎里を8月11日発、13日に白頭山最高点大正峰2744mに登頂。このあと国境線を越えて火口湖天池から北へ進み、満州国領松花江水源域にくだり、密林地帯の中を二道白河沿いに歩いて安図に着いた. 第二松花江源流の確認者という探検史上の成果をもたらした. 新京(現在の長春)を経由、9月初めに京都に帰った.

[関係者名] 梅棹忠夫, 藤田和夫, 伴 豊, 三高山岳部.

日付: [1940年7月19日〜9月初め.]

1940年 遠征における空地連絡試験, [1940年4月3日~12日. ]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 40FUJ
範囲と内容

「将来の科学的探検を有効かつ確実ならしむるため」の実験を目的とした遠征に関する資料.

京都学士山岳会は1940年4月3日~12日「将来の科学的探検を有効かつ確実ならしむるため」各種方法でいろいろな連絡実験を、富士山および山麓森林地帯でおこなった。白頭山冬季登山ですでにもちいた無線電話のほかに、飛行機・発煙筒・布板信号・反射鏡信号などを試験した.

[関係者名] 木原 均(隊長), 宮崎武夫, 浅井東一, 今西壽雄(農学部生), 比企 能(経済学部生), 松森富夫(経済学部生), 中尾佐助(農学部生), 中村成三(法学部生), 周布光兼(経済学部生), 池田敏夫(法学部生), 三好俊夫(法学部生), 秋山忠義(農学部生), 中村英碩(農学部生), 藤本 武(理学部生), 木村三郎(農学部生), 岩本直一(文学部生), 石川欽一(毎日新聞社), 横田(東日), 林(毎日), 椎橋(毎日), 志鶴(大每飛行士), 京都大学学士山岳会.

日付: [1940年4月3日~12日. ]

1941年 ポナペ島学術調査, [昭和16年(1941) 7月14日〜10月8日. ]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 41PON
範囲と内容

ワハーン通廊地域予備調査とノシャック峰登路探索を目的とした遠征に関する資料.

1941年7月~10月 京都探検地理学会が将来のニューギニア探検にそなえて熱帯における調査の足ならしと学生会員の訓練のため, ミクロネシア, ポナペ島に調査隊を送った. 7月14日横浜発のパラオ丸に乗船, 途中パラオ, トラック両港に寄り, 7月29日ポナペ港に着いた. 同船はクサイ島, ヤルート環礁など訪れた後8月9日ふたたびポナペに戻り, 浅井ら4人は次の日横浜へ帰港の途についたパラオ丸で故国へ向かった. 今西, 森下, 中尾, 吉良, 梅棹と川喜田の6人は9月24日までポナペで調査を続け, 10月8日横浜に帰港した.

[関係者名] 今西錦司(隊長 理学部講師), 森下正明(農学部), 浅井辰郎(建国大学), 池田敏夫(法学部学生), 秋山忠義(法学部学生), 松森富夫(経済学部学生), 中尾佐助(農学部学生), 吉良龍夫(農学部学生), 梅棹忠夫(理学部学生), 川喜田二郎(文学部学生), 京都探検地理学会.

日付: [昭和16年(1941) 7月14日〜10月8日. ]

1942年 北部大興安嶺探検, [1942年5月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 42GKA
範囲と内容 北部大興安嶺未踏査地域の縦断および民族的自然科学的調査を目的とした遠征に関する資料. 1942年5月12日今西以下本隊13人はハイラルを出発ドラガチェンカからガン河沿いに東北進して北部大興安嶺奥地に入る. 途中川喜田 梅棹 藤田 土倉の支隊4人が別れ、前年までの航空写真測量の空白地帯を北へ縦断する. 森下以下8人の漠河隊は5月16日黑河を発ち黒龍江を船で溯行、漠河で下船、漠河から食糧輸送のトナカイ橇隊を編成、あらかじめ定めた基地に幕営して待機する. 未統治を突破した支隊、3日おくれて本隊が基地に到着して、調査旅行は予期の成果をあげた. 支隊は白色地帯を天測で進路を決め、本隊と漠河隊との無電連絡、航空機からの物品投下などにも成功した. [関係者名] 隊長:今西錦司(理学部), 副隊長:森下正明(農学部), 本隊隊員:吉良龍夫(農学部生), 伴 豊(文学部生), 小川 武(大商大学生), 折口勝夫(医師), 佐藤信男(測量隊), 山本幸雄(満洲航空), 大塚 弘(無電技師), 郭景章(無電助手), 支隊:川喜田二郎(文学部生),...
日付: [1942年5月.]

1944年 西北研究所 冬のモンゴル行, [1944年9月〜1945年2月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 44MGL
範囲と内容 モンゴル高原の学術調査を目的とした遠征に関する資料. 1944年4月、今西は蒙古聯合自治政府の首都張家口に設立された西北研究所の所長に就任、日本の敗戦まで1年4ヶ月間その任にあった。同研究所は、日本政府大東亜省の全額補助団体である財団法人蒙古善隣協会に所属. 今西所長のほか、次長は石田英一郎. 主任は第1課(理系)森下正明と第2課(文系)藤枝晃。所員や嘱託として中尾佐助、梅棹忠夫・淳子、磯野誠一・富士子、酒井行雄、甲田和衛らが集っていた. 戦争のさなか蒙彊の地にできた、文理融合の研究者集団であった. 今西はここを拠点に学術探検を繰り広げるつもりで、まず1944年9月6日から翌45年2月26日まで冬季のモンゴル高原へ奥地旅行を敢行した. 今西 加藤泰安 中尾 酒井 和崎洋一 梅棹の隊員は馬やラクダに乗り、寒風吹きすさぶ冬のモンゴルでおこなわれた調査は、それまでの夏にトラックを利用しておこなうという常識を破る画期的なもの. 「その結果は大成功であった. いままで冬のモンゴルをみた日本人はだれもいないのだ....
日付: [1944年9月〜1945年2月.]

1945年 京都大学山岳部創設, [1945年秋に京大スキー山岳部が創設, 1946年スキー部と分離して京大山岳部が独立.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 45KAC
範囲と内容

京都大学山岳部創設に関する資料.

戦前、京都帝国大学学友会旅行部にあった山岳班が現在の京都大学山岳部の源流である. 旅行部出身の有志がヒマラヤ登山を目指すAACKを創設し、所期のヒマラヤ遠征を実現できなかった時期には、AACK会員と旅行部学生とが内蒙古探検(1938)や富士山麓空地連絡試験(1940)など、多くの活動を協同で実践していた. その旅行部は1942年軍部によって解散させられた. 1945年秋、敗戦後復学した池田孝蔵らが元旅行部長木原均に交渉して部室使用を許され、新しく京大スキー山岳部が創設された. 敗戦前43年入学の藤平、伊藤らは旅行部が存在せず活動の場を求めていたのだが、この新結成のグループに合流、1946年スキー部と分離して京大山岳部が独立した. 木原教授が部長に就任した.

[関係者名] 伊藤洋平, 藤平正夫, 池田孝蔵, 舟橋明賢, 林一彦, 京都大学山岳部, 京都帝国大学学友会旅行部山岳班, 京大スキー山岳部.

日付: [1945年秋に京大スキー山岳部が創設, 1946年スキー部と分離して京大山岳部が独立.]

1948年 自然史学会, [1948年2月(自然史学会例会初回)〜1952年10月(例会第53回).], [1948-02-01/1952-10-31.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 48NCG
範囲と内容

自然史学会に関する資料.

大陸から引き揚げてきた今西錦司、藤枝 晃、中尾佐助、梅棹忠夫らが西北研究所などでの学術調査の成果を発表するために、「自然科学と人文科学との接触領域における具体的研究の促進」をうたって、自然史学会を創設した. 最初の例会を1948年2月、東方文化研究所(翌49年4月京大人文科学研究所に統合)でもち、中尾(当時、木原生物学研究所)が「ユウマイ文化圏」を発表. 会則は、その例会に集まった者であるとした. 第2囘は今西(京都大学理学部)の「遊牧論」. 2年後に学会誌として『自然と文化』(NATURA et CULTURA)を刊行する際に、京大農学部教授の並河功が会長に就任した. 例会は1952年10月の第53回まで継続開催された.

[関係者名] 中尾佐助, 今西錦司, 藤枝晃, 梅棹忠夫, 並河功.

日付: [1948年2月(自然史学会例会初回)〜1952年10月(例会第53回).]; [1948-02-01/1952-10-31.]

1951年 京都大学生物誌研究会, [1951年秋発足.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 51FFS
範囲と内容 京都大学生物誌研究会発足に関する資料. ヒマラヤ計画のために1951年秋京都大学内に生物誌研究会(Fauna & Flora Research Institute略称FF)が発足する. 「本会は学術に関する調査、探検などの事業を行い」とうたい、並河功を会長に、木原、今西はじめ主に生物系の教官(講師以上)を会員にして、事務局を理学部動物学教室においた. 西堀栄三郎をインド・ネパールに派遣しマナスル登山許可を得るが、これを日本山岳会に委譲した後は、京大からの学術探検計画の元締め的な存在となる. FFが企画立案し、実行は別部隊がするかたちをとった. 総長はじめ大物教授も含めた実力のある団体で、京都探検地理学会の戦後版のようでもあった. マナスル先発隊や本隊の科学班(中尾佐助と川喜田二郎)の成果などを収める下に記す英文報告書3冊を、木原均編、京大生物誌研究会の名で日本学術振興会から1955年から57年まで、毎年1冊ずつ刊行した. これによりFFは海外で存在を知られる。また、日本学術振興会の秩父宮学術賞の第1回をFFが受賞した. Scientific...
日付: [1951年秋発足.]

1952年 日本山岳会マナスル踏査隊, [1952年秋〜12月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 52NEP
範囲と内容

マナスル山域踏査と登路偵察を目的とした遠征に関する資料.

日本山岳会はAACKからマナスル登山許可証の委譲を受けてヒマラヤ委員会を発足させ、マナスル登山に取り組んだ。1953年本隊のために前年秋に偵察隊が派遣されることになり、今西錦司のもとに隊員が選任された。先遣隊は9月なかばに首都カトマンズを発し、マルシャンディ河渓谷をさかのぼり、アンナプルナⅣ峰北面とマナスルの西面を探った. ついでラルキャ峠を越えて東面ブリ・ガンダキ河渓谷にまわる. サマ部落に流れ下るマナスル氷河を試登して、登頂はこのルートにより可能との判断を得て、12月なかばにカトマンズに帰着した.

[関係者名] 今西錦司(隊長), 田口二郎, 高木正孝, 中尾佐助, 林 一彦, 竹節作太(毎日新聞), 日本山岳会ヒマラヤ委員会.

日付: [1952年秋〜12月.]

1952年 西堀栄三郎のインド・ネパール訪問, [1951年 年末〜3月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 52NIS
範囲と内容 ヒマラヤ予備調査とマナスル峰登路探索を目的とした遠征に関する資料. 京都大学生物誌研究会(FF)は、インド科学会議に木原均が招待された機会をとらえ51年年末西堀栄三郎を日本代表団随行員として派遣した. 西堀はカルカッタとニューデリーでJ.ネルー首相をはじめインド政府高官に面会、日印合同ヒマラヤ学術調査隊計画を説明して協力を要請したが、はかばかしい結果を得ることはできなかった. 次いで、毎日新聞社運動部竹節作太氏からの紹介状をネパール政府スポーツ担当大臣K.B.ヴァルマ氏宛手紙に同封、訪問希望を述べ協力を要請した. 2年2月12日パトナから空路首都カトマンズに入ることに成功する. トリ・プフーバン国王、コイララ首相、カイザー・ラナ国防相などに面会、未踏峰マナスル登山の許可を懇請、好意的対応を受けて、英文登山計画書を作成して提出、同月20日カルカッタに出た. マナスルの写真や地図の入手に奔走、ヒマラヤンクラブ関係者からヨーロッパ各国のヒマラヤ遠征計画の情報を集めるなどして、3月なかばに帰国した....
日付: [1951年 年末〜3月.]

1953年 AACKアンナプルナ遠征隊, [1953年9月〜11月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 53ANN
範囲と内容

アンナプルナⅡ峰(7937m)および 同Ⅳ峰(7525m)の登頂を目的とした遠征に関する資料.

1953年9月〜11月に現地で行動.Ⅱ峰を南西マディコーラ谷から試登. その後ナムンバンジャン峠(5140m)越えで、北面マルシャンディ谷からⅣ峰に試登. C5(7100m)まで達したが、11月3日ジェットストリームの強風にテントを破られ撤退を強いられた.

[関係者名] 今西寿雄(隊長)38歳, 藤平正夫 28歳, 伊藤洋平 30歳, 舟橋明賢 28歳, 藤村良 26歳, 脇坂誠 27最, 立平宣雄 28歳.

日付: [1953年9月〜11月.]

1953年 日本山岳会マナスル登山隊, [1953年3月~6月.], [1953-03-01/1953-06-30.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 53MAN
範囲と内容

未踏峰マナスルの初登頂およびネパール学術調査を目的とした遠征に関する資料.

本隊は7750mに到達したが撤退.科学班は生物学・農学・地理学・人類学の調査をおこなった.

[関係者名] 三田幸夫(隊長), 加藤泰安(登山隊), 中尾佐助(科学班), 川喜田二郎(化学班), 日本山岳会ヒマラヤ委員会.

日付: [1953年3月~6月.]; [1953-03-01/1953-06-30.]

1955年 京都大学カラコルム・ヒンズークシ学術調査隊, 1955年4月〜11月.

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資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 55KUS
範囲と内容

ヒンズークシからカスピ海沿岸までの広域調査を目的とした遠征に関する資料.

[関係者名] 木原均(隊長. 植物班長)農学部教授. 北村四郎(植物班)理学部教授. 山下孝介(植物班)教養学部教授. 岩村忍(人類班長)人文研教授. 山崎忠(人類班)文学部講師. 梅棹忠夫(人類班)人文研講師. 岡崎敬(人類班)人文研講師. 今西 錦司(支隊長)人文研講師. 松下進(地質班長)理学部教授. 藤田和夫(地質班)理学部講師. 中尾佐助(植物班) 農学部講師. 原田直彦(医療)医学部講師.

日付: 1955年4月〜11月.

1956年 京都大学探検部の創設, [昭和30年(1955) 3月1日〜12日.].

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資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 56KEC
範囲と内容 京都大学探検部創設に関する資料. [経緯]...
日付: [昭和30年(1955) 3月1日〜12日.].

1956年 京都大学探検部ヒンズークシ学術調査隊, 1956年6月〜12月.

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資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 56HKE
範囲と内容

地質学的調査及び現役学生によるヒマラヤ登山の可能性を目的とした遠征に関する資料.

[関係者名] 藤田和夫 (隊長 大阪市大助教授 京大講師). 本多勝一(農学部農林生物学科学生). 吉場健二 (理学部動物学科学生). A.H.ベグ(イスラミアカレッジ物理学教授). シャーカット・アリ(ライアルプールカレッジ植物学助教授). イナム・U・ハーン(パンジャブ大地理学学生).

日付: 1956年6月〜12月.

1956年 南極観測はじまる, [1956年11月1958年2月.]

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資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 56ANT
範囲と内容

南極の越冬観測を目的とした遠征に関する資料.

東大教授永田武隊長以下53名の第1次観測隊は1956年11月観測船宗谷で日本を出発、南極大陸プリンス・ハラルド海岸に向かった。宗谷は57年1月リュツォーホルム湾に入り、オングル島に基地を作ることを決定。犬橇と雪上車による機材・食料・燃料の輸送が急ピッチでおこなわれた。オングル島に昭和基地を建設、西堀ら11人が第1次越冬隊として1957年2月15日から58年2月24日まで観測調査することに成功した。南極での越冬は日本人初めての経験であり、寒冷地や雪山の生活技術をもつ東京大学、北海道大学、京都大学などの山岳部出身者が初期の段階から観測事業に協力した。

[関係者名] 西堀栄三郎(第1次越冬隊長) , 北村泰一(第1次、第3次越冬隊員) , 伊藤洋平(第1次観測隊員), 吉井良三(第2次観測隊員).

日付: [1956年11月1958年2月.]

1956年 日本山岳会マナスル登山隊, [1956年3月〜5月.]

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資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 56MAN
範囲と内容 ネパールヒマラヤ未踏峰マナスルの登頂を目的とした遠征に関する資料. 1953年の第1次隊失敗のあと、54年には第2次隊が、ふもとのサマ部落住民が聖山を汚したと反対して目標変更を迫り、ガネッシュヒマールに転進したあとを受けて、日本山岳会は1956年槙有恒隊長以下12名の第3次登山隊をマナスル(8163m)に送った。AACKからはただひとり今西壽雄が参加した。シェルパはサーダーのガルツェン・ノルブ以下20人であった。3月29日BC建設、以後順調にキャンプをのばし、5月9日7800mのCⅥから、第1次登頂隊今西とガルツェンがマナスル初登頂に成功した。11日には加藤喜一郎と日下田実が第2登で続いた。ちなみに、前年55年5月に本会会員西堀栄三郎(日本山岳会評議員)は成瀬岩雄(日本山岳会常務理事)とともにカトマンズにおもむき、サマ問題の解決のためにネパール政府と折衝し、了解を得ている。 [関係者名] 槇有恒(62歳), 小原勝郎(43歳), 今西壽雄(41歳), 辰沼広吉(39歳), 依田孝喜(38歳), 千谷壮之助(38歳),...
日付: [1956年3月〜5月.]

1957年 京都大学探検部スワート・ヒマラヤ学術調査隊, [1957年6月~9月.]

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資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 57SWE
範囲と内容

地質学的に未踏査のスワート地域の学術調査をおこなってカラコルムとの連続をはかり、また、未登の6000m峰の登頂を目指すことを目的とした遠征に関する資料.

1957年6月~9月 スワート州都サイドシャリフ7月12日発 ダダリリ峠を越えギザール河をグピスへ、ついでヤシンへ。8月9日本多、荻野、岩坪はシャハーンドク峰(6320m)を目指し、18日C3から6200mまで登高して断念. 地質調査の松下、興津とパキスタン隊員と合流、マスツジ経由、チトラルに帰着した.

[関係者名] 藤田和夫, 本多勝一, 吉場健二, A・H・べグ, シャーカット・アリ, イナム・ウラ・ハーン.

日付: [1957年6月~9月.]

1957年 東南アジア学術調査はじまる, [1957年11月~58年4月.]

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資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 57SEA
範囲と内容

タイ、カンボジア、南ベトナム、ラオスなどで人類学的・生物学的調査を目的とした遠征に関する資料.

1957年11月~58年4月 梅棹忠夫 川村俊蔵らがタイ、カンボジア、南ベトナム、ラオス、ビルマなどで人類学的・生物学的調査をおこなう。このあとメンバーは交代しながら継続して大阪市大、京大から調査隊が出る。

[関係者名] 梅棹忠夫, 藤岡喜愛, 川村俊蔵, 吉川公雄, 小川房人, 依田恭二, 大阪市立大学東南アジア学術調査隊.

日付: [1957年11月~58年4月.]

1958年 AACKチョゴリザ遠征隊, [昭和33年(1958) 5月2日~12月4日現地で行動. ]

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資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 58CHO
範囲と内容

チョゴリザ(7654m)初登頂, 周辺の学術調査を目的とした遠征に関する資料.

[関係者名] 桑原武夫, 加藤泰安, 藤平正夫, 山口克, 脇坂誠, 中島道朗, 平井一正, 岩坪五郎, 高村泰雄, 芳賀孝郎, 今川好則, 潮田三代治, Capt. Anwar Waji, 京都大学学士山岳会.

日付: [昭和33年(1958) 5月2日~12月4日現地で行動. ]

1958年 中尾佐助のブータン入国, [1958年6月〜10月.]

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資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 58BHU
範囲と内容

植物学的調査及び入国許可を目的とした遠征に関する資料.

中尾佐助が1958年6月末公的には日本人として初めてブータン王国を訪れた。前年11月秘密裡に来日したケサン・ワンチュク王妃一行に京都で桑原武夫 芦田譲治らとともに接見し、入国許可を願い出ていた。首都ティンプー、王宮所在地パロのほか国内各地に植物学的調査をおこない10月インドに出た。

日付: [1958年6月〜10月.]

1958年 西北ネパール学術調査隊, [1958年6月~12月.

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資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 58NEP
範囲と内容

トルボ地方の民族学・生物学調査と未踏峰登山を目的とした遠征に関する資料.

カンジロバ・ヒマールおよびムクト・ヒマールの未踏の山域を踏査,6100m級未踏峰の初登頂を含む登山をおこなった。

[関係者名] 川喜田二郎, 高山龍三, 西岡京治, 小方全弘, 並河 治, 飯島 茂, 曽根原やす夫, 大森 栄.

日付: [1958年6月~12月.

1960年 AACKノシャック遠征隊, [1960年5月30日〜10月20日に現地で行動.8月17日ノシャック峰(7492m)に酒井と岩坪が初登頂].

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 60NSQ
範囲と内容

ワハーン通廊地域予備調査とノシャック峰登路探索を目的とした遠征に関する資料.

[関係者名] 酒戸弥二郎, 吉井良三, 澤田秀穂, 廣瀬幸治, 酒井敏明, 岩坪五郎.

日付: [1960年5月30日〜10月20日に現地で行動.8月17日ノシャック峰(7492m)に酒井と岩坪が初登頂].

1961年 カカボ・ラジ登山探検計画, 1957年~1961年1月.

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資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 61KKP
範囲と内容

生態学・人類学調査を目的とした遠征に関する資料.

[1957年~1961年1月]ビルマ政府は中国との国境をめぐる配慮から許可証を交付せず、登頂は実現できなかった。

[関係者名] 福井孝治, 桑原武夫, 梅棹忠雄, 萩野和彦, 斎藤惇生, 中島伊平, 酒井敏明, 谷 泰, 前小屋 端, AACK京都大学学士山岳会, 大阪市立大学.

日付: 1957年~1961年1月.

1961年 サルトロ・カンリ予備調査, [1961年7月22日〜9月1日に四手井. 1961年6月3日~12月12日に高村が現地で行動.].

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資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 61SAL
範囲と内容

カラコルムにおける登山許可取得と予備調査を目的とした遠征に関する資料.

[関係者名] 四手井綱彦, 高村泰雄.

日付: [1961年7月22日〜9月1日に四手井. 1961年6月3日~12月12日に高村が現地で行動.].

1962年 京大山岳部パンジャブヒマラヤ遠征隊, [1962年8月6日〜1963年2月.]

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資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 62IND
範囲と内容

インドラサン峰(6221m),とデオ・ティバ峰(6001m)登頂を目的とした遠征に関する資料.

1962年8月6日先発隊が神戸より出発.9月15日ベースキャンプ建設. 10月13日富田と宮木がインドラサン初登頂. 同日田中、大森、岩瀬、グンディンはデオ・ディバに登頂(第9登). 10月19日BC撤収. 11月中旬帰国. 登山終了後、宮木は11月9日~12月16日ネパール、アンナプルナ南方山域を踏査、田中は11月半ばから63年2月まで日印合同サル調査隊(川村俊蔵隊長)に参加してマイソール州で調査した.

[関係者名] 小野寺幸之進, 酒井敏明, 大森義次, 富田幸次郎, 田中二郎, 宮木靖雅, 岩瀬時郎.

日付: [1962年8月6日〜1963年2月.]

1963年 京都大学西イリアン学術探検予備踏査隊, [先遣隊1963年8月〜10月. 本隊1963年11月~1964年3月26日.]

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資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 63SUK
範囲と内容

西イリアン中央高地の学術調査とスカルノ峰(現名ジャヤ山5030m)の登頂を目的とした遠征に関する資料.

先遣隊1963年8月〜10月. 本隊1963年11月~1964年3月26日. 1964年3月1日スカルノ峰(現名ジャヤ山5030m)に登頂(第3登)日本3人インドネシア3人.

[関係者名] 加藤泰安, 安江安宣, 田附重夫, 水瀬昭典, 松田隆雄, 鈴木博之, 瀬戸口烈司, 石毛直道, 藤木高嶺, 本多勝一, 他インドネシア側52人, 京都大学生物誌研究会.

日付: [先遣隊1963年8月〜10月. 本隊1963年11月~1964年3月26日.]

1964年 カンチェンジュンガ・ウエスト登山許可取得交渉, [1] 1964年11月5日~12月4日., [2] 1967年3月~6月., [3] 1969年., [4] 1970年10月.

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資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 64KAN
範囲と内容 カンチェンジェンガ・ウエスト(後にヤルンカンと改名)の登山許可交渉に関する資料. [1.1964年11月5日~12月4日]AACKは1965年プレモンスーン季のカンチ・ウェスト登攀許可を前年春に申請、同年8月ネパール政府から許可がおり、舟橋明賢隊長(日本ペイント勤務 39歳)以下8人の隊を送る準備を進めていたところ、10月これを取り消された。舟橋はカトマンズに飛びネパール政府と交渉、シッキムの外交権をもつインド政府とも交渉し、当時ガネッシュ登山隊隊長としてカトマンズに滞在していた樋口明生(防災研助教授 35歳)がこれに協力、舟橋帰国後ネパール政府と折衝を続けたが許可は得られず、計画は延期された。テント・ピーク初登頂。...
日付: [1] 1964年11月5日~12月4日.; [2] 1967年3月~6月.; [3] 1969年.; [4] 1970年10月.

1964年 京大山岳部ネパールヒマラヤ遠征隊, [1964年7月-1965年1月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 64GAN
範囲と内容

中央ネパールのガネッシュ(アンナプルナサウス)7256mの初登頂と周辺での学術調査及び登山後の冬のネパールヒマラヤの探査を目的とした遠征に関する資料.

1964年7月-1965年1月に現地で行動. ガネッシュ中央峰(7150m)10月13日(吉野,木村,上田), 主峰(最南峰)(7256m)10月15日(上尾,ミンマ),マイナピーク(7100m)同日(樋口,カルマ),テントピーク(5945m)10月23日(島田,木村),いづれも初登頂.

[関係者名] 樋口明生, 上尾庄一郎, 吉野煕道, 木村雅昭, 島田喜代男, 上田豊, 京都大学山岳部.

日付: [1964年7月-1965年1月.]

1965年 泊山岳会中部ネパール踏査隊, [1965年9月〜1966年2月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 65TIL
範囲と内容

ティリツォ・ヒマールの偵察と中部~東部ネパールの踏査を目的とした遠征に関する資料.

アンナプルナ北方にあるムクティナートヒマールのティリツォ湖周辺を踏査し、ティリツォピーク(7148m)登路偵察を目指して富山県の泊山岳会が送った踏査隊は、会員薬師義美が組織、2隊員のうち一人は会員金山信一である。10月1日ポカラをサーブ3人、シェルパ2人、ポーター14人が出発、トウゥクチェ経由で同湖に達し、周辺地域を踏査した。終了後マルシャンディ河渓谷をくだり、11月15日ポカラ帰着。アンナプルナ山群を一周、エベレストの氷河群を踏査、真冬のゴサインクンド越えなどをおこなって、帰国は66年2月になった。

[関係者名] 薬師義美, 伊東信隆, 金山清一.

日付: [1965年9月〜1966年2月.]

1968年 1967年度京都大学ブータンヒマラヤ遠征隊, [1967年11月末〜1968年5月23日.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 68BHU
範囲と内容

ブータン・ヒマラヤの探査を目的とした遠征に関する資料.

京大山岳部がブータンヒマラヤを踏査するために小遠征隊を送った。インド政府が外国人のブータン入国を阻止するため設定しているインナーライン通行許可を入手するための折衝工作のため1967年11月末に出発。許可取得に手間取り、68年1月26日~2月1日、同年6月3日~12日の短期間だけブータンに入国、滞在することができた。1968年5月1~23日ネパールを訪れ、おもにロールワリン山域を踏査した。

[関係者名] 小野寺幸之進, 上田豊, 市川光雄.

日付: [1967年11月末〜1968年5月23日.]

1968年 京大探検部アンデス学術調査隊, [1968年12月~1969年3月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 68PAT
範囲と内容

チリパタゴニアの氷河・古地磁気学調査および南氷床踏査を目的とした遠征に関する資料.

1968年12月~1969年3月京大探検部の学術調査隊にAACKから中島暢太郎ら3人が招聘され、パタゴニア氷河・古地磁気調査班ができた。チリ政府の積極的後援を受け、1968年12月9日軍艦アギラでバルパライソ港発、ウエリントン島プエルト・エデンに進む。この町を本拠として周辺のフィオルドや氷河の調査をおこなった。

[関係者名] 中島暢太郎, 寺本巌, 井上治郎, 安成哲三, 井上民二, 伊藤隆, 京都大学探検部, 京都大学探検部アンデス学術調査委員会.

日付: [1968年12月~1969年3月.]

1969年 京都大学ブータン学術調査隊, [1969年4月〜1970年1月末.].

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 69BHU
範囲と内容 1.土木工学関係基礎的調査と開発マスタープラン設計への協力. 2.農業他の産業調査. 3.教育 医療 経済 社会制度 家族制度などの調査. 4.動植物の採集・調査. 5.気象調査を目的とした遠征に関する資料. 1969年春来日したブータン王妃に面会し、ブータンへの招待を受け、4月に招待状を受けて調査隊派遣が決まったが、インナーライン許可がなかなかおりず、入国が実現するまでにたいへんな時間がかかった。8月はじめ先発してニューデリーに飛びインド政府と交渉にあたった吉野、桑原隊長と笹谷が9月29日~10月6日の入国などの経緯のあと、本隊6人は同月28日カルカッタから空路テレパラに進み、国境を越えてプンツォリンに泊、次の日ジープで王都パロに着いた。王妃に再会、王家のもてなしあり、農業指導をはじめブータン政府の信認のあつい西岡京治三夫妻の支援も得て、国内旅行の許可を申請して、東端のタシガンまでブータン中央部を横断するルートで踏査することができた。松尾ら4人は12月17日に出国、長期残留が認められた吉野と山本は70年1月末まで滞在した。...
日付: [1969年4月〜1970年1月末.].

1969年 日本山岳会エベレスト第2次偵察隊, [1969年8月~11月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 69EVE
範囲と内容

エベレスト南西壁登路偵察を目的とした遠征に関する資料.

1969年8月~11月.偵察活動終了後,井上は気象観測のため4300mの放牧地に越冬した. 引き続き1970年3月~5月のエベレスト登山隊本隊にも参加した.

[関係者名] 宮下秀樹, 井上治郎, 日本山岳会エベレスト登山準備委員会.

日付: [1969年8月~11月.]

1970年 京都大学ブータン学術調査隊, [1970年9月8日〜10月23日.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 70BHU
範囲と内容

1969年松尾隊の事後交渉(ブータンからの留学生受け入れ)を目的とした遠征に関する資料.

1969年のブータン学術調査隊が現地で話が出たブータンからの留学生受け入れ問題の折衝のため京大ブータン調査隊がAACK会員栗田靖之を派遣した。栗田は夫人とともに1970年9月8日出発,10月23日まで同国に滞在し,交流を推進するために作業した。

[関係者名] 栗田靖之, 栗田道子.

日付: [1970年9月8日〜10月23日.]

1970年 日本山岳会エベレスト登山隊, [1970年3月~5月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 70EVE
範囲と内容

エベレスト・サウスコルルートからの登頂のほか,南西壁からの登頂をも目的とした遠征に関する資料.

日本山岳会が世界の最高峰エベレストの未登の南西壁からの初登攀を目指し、報道関係9人を含む39人からなる大遠征隊を派遣、AACKからは松方隊長のほか中島、神山、井上が参加した。前年春と秋偵察登山隊を送り、万全の準備をととのえて取り組んだ本隊は1970年3月~5月ネパール側クーンブ氷河経由で登攀を展開した。南西壁新ルートからの登攀は最高到達点8050mにとどまり、1953年の初登頂イギリス隊ルートをたどって、5月11日松浦輝夫、植村直己、翌12日平林克敏、シェルパのチョタレが登頂した。

[関係者名] 松方三郎, 中島道郎, 神山義明, 井上治郎, 内藤敏男, 日本山岳会, 日本山岳会エベレスト委員会.

日付: [1970年3月~5月.]

1973年 Glaciological Expedition to Nepal(GEN), [1973年4月~. ], [1973-04-01/1973-12-31.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 73NEP
範囲と内容

ネパール・ヒマラヤの氷河・気象観測、ハジュン基地(4420m)設置を目的とした遠征に関する資料.

[関係者名] 井上治郎, 中尾正義ほか, 名大、北大, 事務局:名大水圏科学研究所、渡辺興亜, 比較氷河研究会、日本雪氷学会氷河情報センター.

日付: [1973年4月~. ]; [1973-04-01/1973-12-31.]

1973年 京都大学中南米栽培植物調査隊, [1973年1月~3月. 京大中南米調査隊に参加.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 73BOL
範囲と内容

中南米における栽培植物の起源調査を目的とした遠征に関する資料.

[関係者名] 隊長:田中正武 農学部教授(53歳), 高村泰雄 農学部助手(38歳), 山本紀夫 農学部院生(29歳), 末本雛子 京大講師, 村松幹夫 岡山大教授, 衣川堅次郎 大阪府立大助教授, 塩谷 格 三重大教授, 事務局:坂本寧男 京大農学部付属生殖質研究施設, 京都大学農学部付属生殖質研究施設.

日付: [1973年1月~3月. 京大中南米調査隊に参加.]

1973年 京都大学学士山岳会ヤルン・カン遠征隊, [1973年2月~6月. 登頂5月14日.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 73KAN
範囲と内容

ヤルン・カン(8505m)初登頂と学術調査を目的とした遠征に関する資料.

[関係者名] 隊長:西堀栄三郎 日本生産性本部理事 (70歳), 登攀隊長:樋口明生 愛媛大学教授(43歳), 斎藤惇生 医師(43歳), 京都大学学士山岳会.

日付: [1973年2月~6月. 登頂5月14日.]

1974年 ネパール・ヒマラヤ氷河学術調査隊, [1974年4月~通年.].

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 74NEP
範囲と内容

クンブ~ヒドン・バレー東西比較、氷河台帳作成のための空撮を目的とした遠征に関する資料.

[関係者名] 樋口敬二, 中島暢太郎, 樋口明生, 上田 豊, 井上治郎, 中尾正義, 安成哲三, 坂中徹雄, 他、名大・北大・都立大7名, 事務局:名大水圏科学研究所、上田 豊, ネパール・ヒマラヤ氷河学術調査隊.

日付: [1974年4月~通年.].