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アンナプルナ

 主題
件名:ソース: Ku Peek

4 コレクションおよび/またはレコード 表示:

1952年 西堀栄三郎のインド・ネパール訪問, [1951年 年末〜3月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 52NIS
範囲と内容 ヒマラヤ予備調査とマナスル峰登路探索を目的とした遠征に関する資料. 京都大学生物誌研究会(FF)は、インド科学会議に木原均が招待された機会をとらえ51年年末西堀栄三郎を日本代表団随行員として派遣した. 西堀はカルカッタとニューデリーでJ.ネルー首相をはじめインド政府高官に面会、日印合同ヒマラヤ学術調査隊計画を説明して協力を要請したが、はかばかしい結果を得ることはできなかった. 次いで、毎日新聞社運動部竹節作太氏からの紹介状をネパール政府スポーツ担当大臣K.B.ヴァルマ氏宛手紙に同封、訪問希望を述べ協力を要請した. 2年2月12日パトナから空路首都カトマンズに入ることに成功する. トリ・プフーバン国王、コイララ首相、カイザー・ラナ国防相などに面会、未踏峰マナスル登山の許可を懇請、好意的対応を受けて、英文登山計画書を作成して提出、同月20日カルカッタに出た. マナスルの写真や地図の入手に奔走、ヒマラヤンクラブ関係者からヨーロッパ各国のヒマラヤ遠征計画の情報を集めるなどして、3月なかばに帰国した....
日付: [1951年 年末〜3月.]

1953年 AACKアンナプルナ遠征隊, [1953年9月〜11月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 53ANN
範囲と内容

アンナプルナⅡ峰(7937m)および 同Ⅳ峰(7525m)の登頂を目的とした遠征に関する資料.

1953年9月〜11月に現地で行動.Ⅱ峰を南西マディコーラ谷から試登. その後ナムンバンジャン峠(5140m)越えで、北面マルシャンディ谷からⅣ峰に試登. C5(7100m)まで達したが、11月3日ジェットストリームの強風にテントを破られ撤退を強いられた.

[関係者名] 今西寿雄(隊長)38歳, 藤平正夫 28歳, 伊藤洋平 30歳, 舟橋明賢 28歳, 藤村良 26歳, 脇坂誠 27最, 立平宣雄 28歳.

日付: [1953年9月〜11月.]

1964年 京大山岳部ネパールヒマラヤ遠征隊, [1964年7月-1965年1月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 64GAN
範囲と内容

中央ネパールのガネッシュ(アンナプルナサウス)7256mの初登頂と周辺での学術調査及び登山後の冬のネパールヒマラヤの探査を目的とした遠征に関する資料.

1964年7月-1965年1月に現地で行動. ガネッシュ中央峰(7150m)10月13日(吉野,木村,上田), 主峰(最南峰)(7256m)10月15日(上尾,ミンマ),マイナピーク(7100m)同日(樋口,カルマ),テントピーク(5945m)10月23日(島田,木村),いづれも初登頂.

[関係者名] 樋口明生, 上尾庄一郎, 吉野煕道, 木村雅昭, 島田喜代男, 上田豊, 京都大学山岳部.

日付: [1964年7月-1965年1月.]

1965年 泊山岳会中部ネパール踏査隊, [1965年9月〜1966年2月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 65TIL
範囲と内容

ティリツォ・ヒマールの偵察と中部~東部ネパールの踏査を目的とした遠征に関する資料.

アンナプルナ北方にあるムクティナートヒマールのティリツォ湖周辺を踏査し、ティリツォピーク(7148m)登路偵察を目指して富山県の泊山岳会が送った踏査隊は、会員薬師義美が組織、2隊員のうち一人は会員金山信一である。10月1日ポカラをサーブ3人、シェルパ2人、ポーター14人が出発、トウゥクチェ経由で同湖に達し、周辺地域を踏査した。終了後マルシャンディ河渓谷をくだり、11月15日ポカラ帰着。アンナプルナ山群を一周、エベレストの氷河群を踏査、真冬のゴサインクンド越えなどをおこなって、帰国は66年2月になった。

[関係者名] 薬師義美, 伊東信隆, 金山清一.

日付: [1965年9月〜1966年2月.]