水野, 清一, 1905-1971
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[00:02] 東方文化研究所 雲岡石窟 昭和十三年四月—六月, 1938年4月9日-6月15日撮影.
00:02 「東方文化研究所」「雲岡石窟」「昭和十三年四月—六月」
[00:09] 一行 水野清一 羽舘易 小野勝年 米田太三郎 徐立信, 1938年4月9日-6月15日撮影.
00:09 「 一行」「水野清一」「羽舘易」「小野勝年」「米田太三郎」「徐立信」
[00:15] 撮影 水野清一, 昭和13年4月9日-6月15日撮影.
00:15 「撮影」「水野清一」
[00:18] 四月九日— 北京出発 ——正陽門車坫, 1936年4月9日.
00:18 「四月九日—」「北京出発」「——正陽門車坫」
[01:27] 南口の谷 —李花開く, 昭和13年4月9日-6月15日撮影.
01:27 「南口の谷」「—李花開く」
[02:18] 朔北の曠野を行く —鷄鳴山—宣化—, 昭和13年4月9日-6月15日撮影.
02:18 「朔北の曠野を行く」「—鷄鳴山—宣化—」
[02:39] (北京~青龍橋~張家口~天鎮~陽高~大同の鉄道略図), 昭和13年4月9日-6月15日撮影.
02:39 北京~青龍橋~張家口~天鎮~陽高~大同の鉄道略図
[02:50] 四月十一日— カルガン 即ち張家口, (1936年)4月11日撮影.
02:50 「四月十一日—」「カルガン」「即ち張家口」
[03:25] 胸につけた良民票 昨年の苦々しい戰鬪の迹 を偲ばしめる —天鎮, (1936年)4月11日.
03:25 「胸につけた良民票」「昨年の苦々しい戰鬪の迹」「を偲ばしめる」「—天鎮」
[+04:20] 彭城鎮ハ磁州窯ノ 本場デアル, 1936年4月9日ー29日撮影.
2008年春,京都大学人文科学研究所で発見された16mmフィルム4巻のうちの1巻.
[04:28] 晋北の高原に 春は未だし 雲の山—木の芽は堅い—毛皮, (1936年)4月11日.
04:28 「晋北の高原に」「春は未だし」「雲の山—木の芽は堅い—毛皮」
[05:03] 北京より383キロ 大同車坫に入る, (1936年)4月11日.
05:03 「北京より383キロ」「大同車坫に入る」
[05:25] 我々は荷物と一緒に 大同に到着した, (1936年)4月11日.
05:25 「我々は荷物と一緒に」「大同に到着した」
[05:28] 晋北政府 民生顧問岩崎継生氏 警務顧問森一郎氏 に迎へられて, (1936年)4月11日.
05:28 「晋北政府」「民生顧問岩崎継生氏」「警務顧問森一郎氏」「に迎へられて」
[06:32] 四月十二日 下華嚴寺, (1936年)4月12日.
06:32 「四月十二日」「下華嚴寺」
[07:01] 上華嚴寺, (1936年)4月12日.
07:01 「上華嚴寺」
[+08:03] 河南省武安縣 北響堂山行 —四月十六日—, (1936年)4月16日.
2008年春,京都大学人文科学研究所で発見された16mmフィルム4巻のうちの1巻.
[+08:12] 彭城鎮北方四十支里, 1936年4月9日ー29日撮影..
2008年春,京都大学人文科学研究所で発見された16mmフィルム4巻のうちの1巻.
[08:54] 街頭所見, (1936年)4月12日.
08:54 「街頭所見」
[12:04] 南門にて 大同城内を望む, (1936年)4月12日.
12:04 「南門にて」「大同城内を望む」
[12:53] 南寺こと 南善化寺, (1936年)4月12日.
12:53 「南寺こと」「南善化寺」
[+13:04] 河北省洛陽縣 龍門踏査 —四月二十四日—, (1936年)4月24日.
2008年春,京都大学人文科学研究所で発見された16mmフィルム4巻のうちの1巻.
[13:04] 雲岡途上の 観音閣, (1936年)4月12日.
13:04 「雲岡途上の」「観音閣」
[13:48] 雲岡 石佛は保護されてゐる —雲岡鎮警備隊, (1936年)4月12日.
13:48 「雲岡」「石佛は保護されてゐる」「—雲岡鎮警備隊」
[+13:49] 賓陽洞佛像 (北魏), 1936年4月9日ー29日撮影.
2008年春,京都大学人文科学研究所で発見された16mmフィルム4巻のうちの1巻.
[+15:16] 老君洞内 拓工作業, 1936年4月9日ー29日撮影.
2008年春,京都大学人文科学研究所で発見された16mmフィルム4巻のうちの1巻.
[17:11] 我々の 雲岡生活は始った 四月十三日から 六月十六日に至る, (1936年)4月13日から6月16日に至る.
17:07 「我々の」「雲岡生活は始った」「四月十三日から」「六月十六日に至る」
[22:45] 雲岡の朝—— 臺上の衛兵 —我々も護られてゐる, (1936年)4月13日から6月16日に至る.
22:41 「雲岡の朝——」「臺上の衛兵」「—我々も護られてゐる」
[23:44] 雲岡にも春が来て 堆肥を運び— 畑を鋤く, (1936年)4月13日から6月16日に至る.
23:40 「雲岡にも春が来て」「堆肥を運び—」「畑を鋤く」
[24:44] 晋北の宝 大同炭を運ぶ —原始的な運搬法で、宝は まだ死藏されてゐる, (1936年)4月13日から6月16日に至る.
24:40 「晋北の宝」「大同炭を運ぶ」「—原始的な運搬法で、宝は」「まだ死藏されてゐる」
[25:30] 我々の写真撮影 屋根から—足場から 羽舘易 米田太三郎, (1936年)4月13日から6月16日に至る.
25:26 「我々の写真撮影」「屋根から—足場から」「羽舘易」「米田太三郎」
[27:59] 雲岡参道の修理に 工兵隊の活動 —五月十五日, (1936年)5月15日.
25:26 「我々の写真撮影」「屋根から—足場から」「羽舘易」「米田太三郎」
[28:22] 春深し! 馬鈴薯を植ゑる, (1936年)5月15日.
28:19 「春深し!」「馬鈴薯を植ゑる」
[30:08] 我々の 拓本作業 —拓工徐君, (1936年)5月15日.
30:05 「我々の」「拓本作業」「—拓工徐君」
[30:20] 討伐隊は行く —四月二十五日, (1936年)4月25日.
30:17 「討伐隊は行く」「—四月二十五日」
[31:54] 夏来る! 緑陰に集る牧羊 —第三・第四洞前, (1936年).
31:50 「夏来る!」「緑陰に集る牧羊」「—第三・第四洞前」
[33:20] 我々の 発掘作業は進む 小野勝年, (1936年).
33:16 「我々の」「発掘作業は進む」「小野勝年」
[34:44] 芍薬老了 調査終了 水野清一 六月十五日, (1936年)6月15日.
34:41 「芍薬老了」「調査終了」「水野清一」「六月十五日」
[各シーン 1巻目] (00:02, 「東方文化研究所」「雲岡石窟」「昭和十三年四月—六月」. / 00:09, 「 一行」「水野清一」「羽舘易」「小野勝年」「米田太三郎」「徐立信」. / 00:15, 「撮影」「水野清一」. / 00:18, 「四月九日—」「北京出発」「——正陽門車坫」. / 01:27, 「南口の谷」「—李花開く」. / 02:18, 「朔北の曠野を行く」「—鷄鳴山—宣化—」. / 02:39, [北京〜青龍橋〜張家口〜天鎮〜陽高〜大同の鉄道略図.] / 02:50, 「四月十一日—」「カルガン」「即ち張家口」. / 03:25, 「胸につけた良民票」「昨年の苦々しい戰鬪の迹」「を偲ばしめる」「—天鎮」. / 04:28, 「晋北の高原に」「春は未だし」「雲の山—木の芽は堅い—毛皮」. / 05:03, 「北京より383キロ」「大同車坫に入る」. / 05:25, 「我々は荷物と一緒に」「大同に到着した」. / 05:28, 「晋北政府」「民生顧問岩崎継生氏」「警務顧問森一郎氏」「に迎へられて」. / 06:32, 「四月十二日」「下華嚴寺」. / 07:01, 「上華嚴寺」. / 08:54, 「街頭所見」. / 12:04, 「南門にて」「大同城内を望む」. / 12:53, 「南寺こと」「南善化寺」. / 13:04, 「雲岡途上の」「観音閣」. / 13:48, 「雲岡」「石佛は保護されてゐる」「—雲岡鎮警備隊」. ), [昭和13年(1938)4月9日-4月12日].
[各シーン 2巻目] (17:11, 「我々の」「雲岡生活は始った」「四月十三日から」「六月十六日に至る」. / 22:45, 「雲岡の朝——」「臺上の衛兵」「—我々も護られてゐる」. / 23:44, 「雲岡にも春が来て」「堆肥を運び—」「畑を鋤く」. / 24:44, 「晋北の宝」「大同炭を運ぶ」「—原始的な運搬法で、宝は」「まだ死藏されてゐる」. / 25:30, 「我々の写真撮影」「屋根から—足場から」「羽舘易」「米田太三郎」. / 27:59, 「雲岡参道の修理に」「工兵隊の活動」「—五月十五日」. / 28:22, 「春深し!」「馬鈴薯を植ゑる」. / 30:08, 「我々の」「拓本作業」「—拓工徐君」. / 30:20, 「討伐隊は行く」「—四月二十五日」. / 31:54, 「夏来る!」「緑陰に集る牧羊」「—第三・第四洞前」. / 33:20, 「我々の」「発掘作業は進む」「小野勝年」. / 34:44, 「芍薬老了」「調査終了」「水野清一」「六月十五日」. / 35:06, 「完了」. ), [昭和13年(1938)4月13日-6月16日].
東方文化研究所調査映画フィルム : 雲岡石窟, 1938. 16mm Documentary Films about Field Research on Yungang Grottoes, 1938.
東方文化学院京都研究所調査映画フィルム : 響堂山と龍門, 1936. 16mm Documentary Film of Field Research at Xiangtangshan and Longmen, 1936.
昭和4年(1929)設立の東方文化学院京都研究所(現在の京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター)は, 昭和11年(1936)3月〜5月に水野清一・長廣敏雄・羽館易の3名を中国北部に派遣しており, その際に撮影された16mmフィルム(モノクロ・サイレント)である. 元々は40分を超える映画作品であり, 塘沽, 天津, 北京(当時は北平), 南響堂山, 磁県彭城鎮, 北響堂山, 洛陽の龍門石窟が撮影されていたらしいが, 現存するのは, 南響堂山のシーンの途中から龍門石窟に到着するまでの16分のみである. A documentary film about a survey trip at historic sites in Northern China by Toho Bunka Gakuin Kyoto Kenkyujo (Kyoto Institute, Academy of Oriental Culture), in March-May 1936.