メインコンテンツへスキップ

中尾, 佐助, 1916-1993

 個人

14 コレクションおよび/またはレコード 表示:

1939年 北部小興安嶺, [1939年7月~8月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 39LKA
範囲と内容

北西小興安嶺横断を目的とした遠征に関する資料.

1939年7月~8月. 7月15日内地発、大連から鉄道でハルビン、チチハル経由メルゲンにつく. 馬車5台を雇い北西小興安嶺を北へ縦断、次いで東に折れ、黒龍江岸の湖通鎮に到達. 汽船で江を下った.

[関係者名] 周布光兼 (隊長), 比企 能, 池田敏夫, 中尾佐助, 藤本 武, 京都帝国大学旅行部.

日付: [1939年7月~8月.]

1940年 冬期樺太踏査行, [1939年12月~40年1月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 40KAR
範囲と内容

犬橇の性能試験 移動無線電話実験 個人の耐寒訓練を目的とした遠征に関する資料.

1939年12月~40年1月 京都帝大旅行部は将来の探検において必要になる犬橇の性能試験、酷寒地における移動無線電話実験、各個人の耐寒訓練を目標として樺太に向かった. 39年末に樺太敷香に集結、魚屋で犬橇研究家である須山と上原の2人、ギリヤーク、オロッコ各1人と橇犬39頭を雇う. 海岸平野上、多来加湖の凍結湖水面上、ツンドラ帯、森林内など異なる環境で犬橇と無電機の試験をおこなった. 「木の組合せを馴鹿の皮でくくり合わせた」原住民のノソ(そりのアイヌ語)、ボルト・ナットなど鉄製部品が多く重量も3倍ほどの和人のノソを試用したが、バランスと悪道における機動力は前者がはるかにまさった.

[関係者名] 藤本 武(隊長 理学部学生), 今西壽雄(農), 中尾佐助(農), 中村成三(法), 秋山忠義(法), 梅棹忠夫(三高生徒), 京都探検地理学会.

日付: [1939年12月~40年1月.]

1940年 遠征における空地連絡試験, [1940年4月3日~12日. ]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 40FUJ
範囲と内容

「将来の科学的探検を有効かつ確実ならしむるため」の実験を目的とした遠征に関する資料.

京都学士山岳会は1940年4月3日~12日「将来の科学的探検を有効かつ確実ならしむるため」各種方法でいろいろな連絡実験を、富士山および山麓森林地帯でおこなった。白頭山冬季登山ですでにもちいた無線電話のほかに、飛行機・発煙筒・布板信号・反射鏡信号などを試験した.

[関係者名] 木原 均(隊長), 宮崎武夫, 浅井東一, 今西壽雄(農学部生), 比企 能(経済学部生), 松森富夫(経済学部生), 中尾佐助(農学部生), 中村成三(法学部生), 周布光兼(経済学部生), 池田敏夫(法学部生), 三好俊夫(法学部生), 秋山忠義(農学部生), 中村英碩(農学部生), 藤本 武(理学部生), 木村三郎(農学部生), 岩本直一(文学部生), 石川欽一(毎日新聞社), 横田(東日), 林(毎日), 椎橋(毎日), 志鶴(大每飛行士), 京都大学学士山岳会.

日付: [1940年4月3日~12日. ]

1941年 ポナペ島学術調査, [昭和16年(1941) 7月14日〜10月8日. ]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 41PON
範囲と内容

ワハーン通廊地域予備調査とノシャック峰登路探索を目的とした遠征に関する資料.

1941年7月~10月 京都探検地理学会が将来のニューギニア探検にそなえて熱帯における調査の足ならしと学生会員の訓練のため, ミクロネシア, ポナペ島に調査隊を送った. 7月14日横浜発のパラオ丸に乗船, 途中パラオ, トラック両港に寄り, 7月29日ポナペ港に着いた. 同船はクサイ島, ヤルート環礁など訪れた後8月9日ふたたびポナペに戻り, 浅井ら4人は次の日横浜へ帰港の途についたパラオ丸で故国へ向かった. 今西, 森下, 中尾, 吉良, 梅棹と川喜田の6人は9月24日までポナペで調査を続け, 10月8日横浜に帰港した.

[関係者名] 今西錦司(隊長 理学部講師), 森下正明(農学部), 浅井辰郎(建国大学), 池田敏夫(法学部学生), 秋山忠義(法学部学生), 松森富夫(経済学部学生), 中尾佐助(農学部学生), 吉良龍夫(農学部学生), 梅棹忠夫(理学部学生), 川喜田二郎(文学部学生), 京都探検地理学会.

日付: [昭和16年(1941) 7月14日〜10月8日. ]

1944年 西北研究所 冬のモンゴル行, [1944年9月〜1945年2月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 44MGL
範囲と内容 モンゴル高原の学術調査を目的とした遠征に関する資料. 1944年4月、今西は蒙古聯合自治政府の首都張家口に設立された西北研究所の所長に就任、日本の敗戦まで1年4ヶ月間その任にあった。同研究所は、日本政府大東亜省の全額補助団体である財団法人蒙古善隣協会に所属. 今西所長のほか、次長は石田英一郎. 主任は第1課(理系)森下正明と第2課(文系)藤枝晃。所員や嘱託として中尾佐助、梅棹忠夫・淳子、磯野誠一・富士子、酒井行雄、甲田和衛らが集っていた. 戦争のさなか蒙彊の地にできた、文理融合の研究者集団であった. 今西はここを拠点に学術探検を繰り広げるつもりで、まず1944年9月6日から翌45年2月26日まで冬季のモンゴル高原へ奥地旅行を敢行した. 今西 加藤泰安 中尾 酒井 和崎洋一 梅棹の隊員は馬やラクダに乗り、寒風吹きすさぶ冬のモンゴルでおこなわれた調査は、それまでの夏にトラックを利用しておこなうという常識を破る画期的なもの. 「その結果は大成功であった. いままで冬のモンゴルをみた日本人はだれもいないのだ....
日付: [1944年9月〜1945年2月.]

1948年 自然史学会, [1948年2月(自然史学会例会初回)〜1952年10月(例会第53回).], [1948-02-01/1952-10-31.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 48NCG
範囲と内容

自然史学会に関する資料.

大陸から引き揚げてきた今西錦司、藤枝 晃、中尾佐助、梅棹忠夫らが西北研究所などでの学術調査の成果を発表するために、「自然科学と人文科学との接触領域における具体的研究の促進」をうたって、自然史学会を創設した. 最初の例会を1948年2月、東方文化研究所(翌49年4月京大人文科学研究所に統合)でもち、中尾(当時、木原生物学研究所)が「ユウマイ文化圏」を発表. 会則は、その例会に集まった者であるとした. 第2囘は今西(京都大学理学部)の「遊牧論」. 2年後に学会誌として『自然と文化』(NATURA et CULTURA)を刊行する際に、京大農学部教授の並河功が会長に就任した. 例会は1952年10月の第53回まで継続開催された.

[関係者名] 中尾佐助, 今西錦司, 藤枝晃, 梅棹忠夫, 並河功.

日付: [1948年2月(自然史学会例会初回)〜1952年10月(例会第53回).]; [1948-02-01/1952-10-31.]

1951年 京都大学生物誌研究会, [1951年秋発足.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 51FFS
範囲と内容 京都大学生物誌研究会発足に関する資料. ヒマラヤ計画のために1951年秋京都大学内に生物誌研究会(Fauna & Flora Research Institute略称FF)が発足する. 「本会は学術に関する調査、探検などの事業を行い」とうたい、並河功を会長に、木原、今西はじめ主に生物系の教官(講師以上)を会員にして、事務局を理学部動物学教室においた. 西堀栄三郎をインド・ネパールに派遣しマナスル登山許可を得るが、これを日本山岳会に委譲した後は、京大からの学術探検計画の元締め的な存在となる. FFが企画立案し、実行は別部隊がするかたちをとった. 総長はじめ大物教授も含めた実力のある団体で、京都探検地理学会の戦後版のようでもあった. マナスル先発隊や本隊の科学班(中尾佐助と川喜田二郎)の成果などを収める下に記す英文報告書3冊を、木原均編、京大生物誌研究会の名で日本学術振興会から1955年から57年まで、毎年1冊ずつ刊行した. これによりFFは海外で存在を知られる。また、日本学術振興会の秩父宮学術賞の第1回をFFが受賞した. Scientific...
日付: [1951年秋発足.]

1952年 日本山岳会マナスル踏査隊, [1952年秋〜12月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 52NEP
範囲と内容

マナスル山域踏査と登路偵察を目的とした遠征に関する資料.

日本山岳会はAACKからマナスル登山許可証の委譲を受けてヒマラヤ委員会を発足させ、マナスル登山に取り組んだ。1953年本隊のために前年秋に偵察隊が派遣されることになり、今西錦司のもとに隊員が選任された。先遣隊は9月なかばに首都カトマンズを発し、マルシャンディ河渓谷をさかのぼり、アンナプルナⅣ峰北面とマナスルの西面を探った. ついでラルキャ峠を越えて東面ブリ・ガンダキ河渓谷にまわる. サマ部落に流れ下るマナスル氷河を試登して、登頂はこのルートにより可能との判断を得て、12月なかばにカトマンズに帰着した.

[関係者名] 今西錦司(隊長), 田口二郎, 高木正孝, 中尾佐助, 林 一彦, 竹節作太(毎日新聞), 日本山岳会ヒマラヤ委員会.

日付: [1952年秋〜12月.]

1953年 日本山岳会マナスル登山隊, [1953年3月~6月.], [1953-03-01/1953-06-30.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 53MAN
範囲と内容

未踏峰マナスルの初登頂およびネパール学術調査を目的とした遠征に関する資料.

本隊は7750mに到達したが撤退.科学班は生物学・農学・地理学・人類学の調査をおこなった.

[関係者名] 三田幸夫(隊長), 加藤泰安(登山隊), 中尾佐助(科学班), 川喜田二郎(化学班), 日本山岳会ヒマラヤ委員会.

日付: [1953年3月~6月.]; [1953-03-01/1953-06-30.]

1955年 京都大学カラコルム・ヒンズークシ学術調査隊, 1955年4月〜11月.

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 55KUS
範囲と内容

ヒンズークシからカスピ海沿岸までの広域調査を目的とした遠征に関する資料.

[関係者名] 木原均(隊長. 植物班長)農学部教授. 北村四郎(植物班)理学部教授. 山下孝介(植物班)教養学部教授. 岩村忍(人類班長)人文研教授. 山崎忠(人類班)文学部講師. 梅棹忠夫(人類班)人文研講師. 岡崎敬(人類班)人文研講師. 今西 錦司(支隊長)人文研講師. 松下進(地質班長)理学部教授. 藤田和夫(地質班)理学部講師. 中尾佐助(植物班) 農学部講師. 原田直彦(医療)医学部講師.

日付: 1955年4月〜11月.

1958年 中尾佐助のブータン入国, [1958年6月〜10月.]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 58BHU
範囲と内容

植物学的調査及び入国許可を目的とした遠征に関する資料.

中尾佐助が1958年6月末公的には日本人として初めてブータン王国を訪れた。前年11月秘密裡に来日したケサン・ワンチュク王妃一行に京都で桑原武夫 芦田譲治らとともに接見し、入国許可を願い出ていた。首都ティンプー、王宮所在地パロのほか国内各地に植物学的調査をおこない10月インドに出た。

日付: [1958年6月〜10月.]

1981年 日本ブータン友好協会第一回親善旅行, [1981年10月7日~17日. ]

 シリーズ
資料番号: AACK MIXED 2013/1 / 81BHU
範囲と内容

日本ブータン友好協会の設立報告を兼ねた第一回親善を目的とした遠征に関する資料.

[関係者名] 団長・桑原武夫(京大名誉教授), 同夫人, 秘書長・笹谷哲也, 同夫人, 西堀栄三郎, 同夫人, 中尾佐助(大阪府立大学名誉教授), 松尾稔(名古屋大学教授), 松井宣也(花王石鹸), 栗田靖之, 佐々木高明(国立民族学博物館), 玉野井芳郎(東京大学名誉教授), 同夫人, 渡辺千衣子, 野路 (放送作家), 田中 (マウンティン・ワールド・トラベル・ガイド), 日本ブータン友好協会.

日付: [1981年10月7日~17日. ]

京都大学カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊地質班関係資料, 1955-1956. Kyoto University Science Expedition (Geological Team) Records : Karakoram-Hindukush 1955-1956.

 コレクション
資料番号: RRA MSS 2007/3
要約

京都大学カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊(1955)の地質班は, カラコラム地域の地質学的な空白地帯を踏査し, その観察を写真およびルートマップに克明に記録した. 長大な氷河が巨大断層上にあることに注目するなど, 構造地質学的な第一発見がルートマップに残る. 翌年の日パ合同探検隊(1956)の写真資料などとあわせて, 両探検隊に参加した藤田和夫(地質学)によって残されてきた本資料群は, カラコラムおよび東部ヒンズークシ地域の当時の風俗・文化をも伝える貴重なアーカイブ資料でもある.

Records of field research by Kazuo Huzita (geologist), about a Kyoto University Science Expedition at Karakoram and Hindukush in 1955 and 1956.

日付: 主に昭和30年(1955)〜昭和32年(1957).